No.0404
こっから忙しくなるので備忘録
備忘録を「ぼうびろく」って覚えちゃってるんだよなぁ。
宇多田ヒカルのお母さんが自殺した件でその家族の苦悩を
「たまたま芸能人の家族に起きたというだけで精神障害者を身内に持った家族に共通する普遍的な問題だと」しながら「有名人ということで、この病気であることは外には隠さねばなら」かったとする記事があがっていた。「精神病に関しては、偏見や誤解、無知が今も根強い。」って書いてるのにこれじゃ有名人じゃないなら病気のこと隠さなくていいみたいじゃんね。
で、偏見が強いのは無知によるからだしもっと情報が共有できれば家族の負担も減るはずだとして、それはメディアが考えるべきだってタイトルなんだよな。
私はテレビ全く観ない生活してるのでそういう感覚が分らない。情報はネットで調べるし、考えるのは自分だろうと思う。
パソコン使えない人もいるだろうしもっと手軽に情報に触れられる方がタブー感はなくなるのかなぁとは思うので、メディアの報道姿勢が改善されることに期待はしたい。
までがこの記事への感想かなぁ。
で、だ。
ブコメに
ってのがあって、この人の何とかして欲しいらしい「治療したら絶対自殺しないみたいな言説」を私は聞いたことがなかった。治療してたのに、服薬してたのに、死んじゃった話は聞いたことがある。
私はそれは治療が失敗したのだから医療事故だと思う。きちんとデータを集め、分析し、原因と対策を練った方が良いと思ってるし、同時に脳はまだ解明されていない器官だから、医療ミスだとしても簡単に訴訟するわけにいかないだろうとか、そういうところも含めて個人レベルでの理解を深める必要があるのかなぁとか思う。
気になってとりあえずコメント
これに対して反応があった。
ググったがよくわからず。
コレの応答がちょっと変だった
そういう思想をお持ちでないなら、そういう人がいる事実も特に知る必要はないと私は考えるのですが、「そういう人がいるのかどうか明らかにしたい」という希望があったのでしょうか。いないという証明はできません
ここで「そういう思想を持つ人」を「どうにかして欲しい」と思ってるのはhisawoooさんだと思う。
そういう人がいると言い出したのもhisawoooさんであり、この発言に照らし合わせると、「そういう思想を持つ人」=hisawoooさんってことになる。つまり「いる」証明はされている。だからそう言ってくれればいいのだけど。(そうしたら、どうにかして欲しいじゃなくて自分でどうにかしろよ、というコメントをするけどなw)
なぜか「いない」証明はできない、という。ここで「いない」証明をするとしたら私がするべき流れなのかと思う。
何言ってるのかよく分らん。
混乱。
ん? なんでいない証明の話になるの? そういう人をみたことあるなら(あなたが何とかして欲しいと願う言説の)具体的なところを教えてくれればいいと思うのだけど? 差し障りがあるなら無視で結構です
ココで私はいる・いないの話をし始めたのはhisawoooさんだと思ってコメントしてるんだけど、その返答が
と
いるかいないか議論することはあんまり意味がないかなーと思うので、想像するに、何か別の意図があったのかな?とも思ったんですが考えすぎでしたかね。いるということを証明する気は、あれ以上はありません。
いるいないの話に拘ってる印象。結局太宰メソッドなのかなぁー。「必要がない」とか「意味がない」とか自分で判断するのが好きな人だなぁ、とw
教えて教えて 私が生きてる必要って有る?(飛躍
うん、次の質問はあなたが生きてる意味よ うふふw
ってなことを思いつつ
むしろ治療してても、寛解だと思ってても何かの拍子に死んでしまうかもしれないから精神病(?)への偏見が増長されるのではないだろうか、と。
と、割と当たり障りのないことでまとめてみたりwww
基本、分らないことは怖いし怖いことは避けたい、と私は思うんだよね。
で、精神、脳、心とか、解明されていないし、解明されたくない部分だと思うのよ。
もっと主語大きく言うなら日本人って個人の内面はタブーにしておきたいんじゃないかなぁ。
だから精神科がいつまでもブラックボックスで偏見の的なんじゃないかな。
ツライ苦しいを支えてきた地域コミュニティの崩壊
戦争、敗戦、経済戦争、敗戦による父長制度の崩壊
価値の根底が崩れることによる不安の増加
社会構成の変化
もろもろで
今私たちは、内面に対して介入する、されることを容認するかどうかの岐路にいるのかもな。
分らなくて怖くて面倒なこと・・・ちょっと仲良くなった相手に急に自殺されるとか正直面倒だ。
そういうところから来る嫌悪感やタブー感とかが私にとっては問題かなぁとか。
だからトモダチ少ないんだろうなw 正常でも面倒だわwww
あ、後思いつきだけど
「治療したら絶対自殺しないみたいな言説」って正常な人間は自殺なんてしない!って思い込み(常識)のことかもな。自殺すると自動的に頭(精神、心)がどっかおかしかったんだろうって事になる。
きっと正常でも人は自殺する。正義の名の下なら他殺もする。「正常」なんてただの多数決だって事だな、と私は思うんだよ。
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嫁姑系の話読むと身内(というか見下した相手)の内面踏みにじるのは平気なのかもなぁ、とか
タブーである内面を触らせる、触ることによってマウンティングしてるのか
(上下関係をはっきりさせてるというかなんというか)
「必要」とか「意味」とか「証明」とかなんかなぁ
酔った勢いで大野さんち書き込んできた。
まだ怒ってるかなー。
なんで彼女怒ったんだっけ。
内面を科学する精神分析はどうすれば。
ラッセン…
10年前くらい、大宮駅あたりをふらふらしてたら人から声をかけられた
その人はお腹の大きい妊婦だった
ラッセンの絵葉書か、水色の強い絵を見せられて「興味ある?」
って聞かれたのか私は 答えなかったが ぼんやりしていた
この人に着いていくと絵を買わされるんだな ってことは分かっていた
「…どんな人が買うんですか?」 「どんな人が買うと思う?あなたみたいな人も買うんだ」
「………」 「ちょっと近くでやってるからおいでよ」
「…いくらで売れるんですか?…儲かってますか?」 「………」
(ここらへん失念したがどんよりとした攻撃性が下向きながらの私にあった)
「冷やかしなら帰りな」 「もういいよ」
ってちょっと離れた場所にいて声と一緒に視界に入ってきた女の人に言われた私は
その人は仲間の助けに安堵したのか、気持ち悪そうな目を私に向けた
……
まあ、ラッセン共同体はどこかにあった。のか。憧れの自助組織……
バックに誰かが付いてるんだろうかな…アルバイトかもしれんしな…
通りすがりのいちゃもんつけの私にはようわからんかったが悪いことしたなと思う。
https://elve.hatenadiary.jp/entry/20110104/1294128660
ちなみに大野さんこの頃はいい感じに「絡んで」いるぞ…
たぶんクサバヤシこと消毒ことアンチなんたらさんがいい感じだったんだな…
埼玉で竜巻…
http://matome.naver.jp/odai/2137810794034678901
実はエウリアンにあったことがない。
エウリアンって騙した人を売り子にするいわばねずみ講とかだと思ってたので
>「…いくらで売れるんですか?…儲かってますか?」
こんなこと言ってくる奴には食いついてくるんじゃないかと思った。
まあこうもりがよっぽど不機嫌そうな顔してたならあれだが。売り子にもならん。
>「冷やかしなら帰りな」
「冷やかし」って向こうが声かけてきたんじゃねえの。
営業仕事は「冷やかし」も商機なんだがなあ。その妊婦は売り子としても使えない奴だったんじゃねえの。
ラッセンてエウリアンだったのか。
それすらしらなんだ。
エウリアンって言葉をはじめて聞いた。
「ラッセン エウリアン」で検索して出てきた記事。
http://blog.livedoor.jp/rinjinyabai/archives/26038967.html
「ラッセンの絵である」と言わないくせに
「ラッセンの絵であるかのような物言い」をする点がとってもギルティ。
http://chinboturezure.seesaa.net/article/371237873.html
だそうだ。
ラッセン9月中旬から来日するらし
https://www.artvivant.net/artists/lassen/gallery.php
ん、どうでもいい。
それよりエウリアンに会ったのってどこ?
わたし大体新宿ゴールデン街とか下北とか小汚い街しかいかないので会わなかったのかなあと。
あ、大宮駅って書いてた。すまんこ。
宗教の勧誘なら最高ですかーってやつに声かけられたな。
エウリアンを隠し撮りとかしてた報道番組とかあったぞ。
すべてのことに「意味はない」。
自分の生きている「意味」なども最初からない。
あるラカン派曰く「生きる意味とは意味を生きることだ」。
自分を寵愛し←必要
且つ←意味
粗末に扱うんだよ←証明
且つ[副]
1 (「…かつ…」または「かつ…かつ…」の形で)二つの行為や事柄が並行して行われることを表す。一方では。「―飲み、―歌う」
2 ちょっと。わずかに。
「陸奥(みちのく)の安積(あさか)の沼の花がつみ―見る人に恋ひやわたらむ」〈古今・恋四〉
3 そのそばから。すぐに。
「駒の跡(あと)は―降る雪に埋もれて遅るる人や道まどふらむ」〈千載・冬〉
[接]ある事柄に他の事柄が加わることを表す。そのうえ。それに加えて。「講演はおもしろく―有意義だった」
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/42463/m0u/
>自分を寵愛し←必要
はわからなくもないが
>且つ←意味
>粗末に扱うんだよ←証明
が意味わからん。
自分を寵愛し sing ←必要 (動詞)
且つ a ←意味 (不定冠詞)
粗末に扱うんだよ song ←証明 (名詞)
こんがらがってきた…
自分を寵愛し ← 必要 ← 動詞的存在 ← 演じる ← 転移 ← sing
且つ ← 意味 ← 不定的存在 ← を ← 鏡像 ← a
粗末に扱うんだよ ←証明 ← 名詞的存在 ← 演じること ←魔 ← song
続かない。悟りは遠いよ、綾波…
まったく論理的に成り立ってないのが興味深い。
まあこうもりの脳内思考の下手な説明だということだろう。
わたしゃこうもりの脳内思考回路なんか聞いてやしないが。
ちなみに「自分を寵愛し」が鏡像関係じゃろう。
自分を寵愛し ←鏡像関係
且つ扱う ←転移
粗末に ←転移の彼岸
かとわたしは思った。
欲望の生き死にが集約されておると。
sing a song はどちらかと言えば「自分を寵愛する」だけ。
>←証明 ← 名詞的存在 ← 演じること
これなんかは「song」だろう。
お前の脳内で「自分を寵愛し且つ粗末に扱う」と「sing a song」を同じにしようとしてるだけなんじゃねえの。
こうやってお前が「俺の考え」を他人を無視して述べることが「自分を寵愛する」であり「sing a song」、「俺の考え聞いてくれ」という「かまってちゃん心理」「承認欲求」だと思うんだがなあ。
なのでわたしは「お前の考えなんか聞いてない」という「粗末に扱う」を加えてやってるわけだ。
「粗末に扱う」が「song」と同様の「名詞的存在」であり「証明」だとするのが、こうもり自身の「大文字の他者への承認欲求」の表れなんじゃねえの。
それを「証明」だと思ったとき、君は誰に対して「証明」していたのだろうな。
そういえば、君が「殴る蹴るされたときの話」をしたとき、君はその「自分を殴る蹴るしたムショ帰りの人」に「承認欲求」はなかったか? という質問に君は答えてないな。
「粗末に扱う」ことが「父は僕を思っていてくれてるから僕を殴るんだ」という欲望の承認になりえるけどな。
特に大文字の他者への欲望が強い過剰適応の抑鬱症なんかは。
まあこれが「証明」であり「名詞的存在」になるのが君の「父は僕を思っていてくれくれるから僕を殴るんだ」という無意識の表れの可能性もある、という話である。
欲望の抑圧(する他者への欲望)と、欲望の死である(と同時に欲望の原因でもある)死の欲動は別物である、という話。
「粗末に扱う」が「証明」になるのは、君の脳内で承認欲求があるからであり、つまるところ「欲望の抑圧(してくれる他者への欲望)」の「証明」になっているんじゃないだろうか。
君にとって。
こうもりはこんなところでだべっておらずその「ムショ帰り」の人に殴ってもらってこいよ。
ヨマがDV男なら、「殴ってくれるのは自分を承認してくれてることだ」とする共依存的DV被害者の心理がこうもりだとも言えような。
二人でDV的な愛を確認しあってろよ。
>これが「証明」であり「名詞的存在」になるのが君の「父は僕を思っていてくれくれるから僕を殴るんだ」という無意識
ラカン派では「物の値段」という経済の根本形態すら(「証明」「名詞的存在」だろ)「子供が父に打たれる」という幻想ゆえの症状だと考えておる。
http://psychanalyse.hatenablog.com/entry/20070522/p1
君が「粗末に扱われる」を「song」のごとき「証明」だとし「名詞的存在」だと思ったのも、こういう心理だとなろうよ。
elveさんがどう思って書いたのかはわからんが、わたしの解釈では
自分を寵愛し ← 必要 ← 動詞的存在 ← エロス
粗末に扱うんだよ ← 必要 ← 動詞的存在 ← タナトス
だとなるな。
「死の欲動」を認めるわたしの解釈では。
であれば「且つ」は現実的な様相を表していることであり、「意味」ではない。
ボロメオの輪において「意味(sens)」は¬「現実界」となっておろう。
>ラカン派では「物の値段」という経済の根本形態すら(「証明」「名詞的存在」だろ)
わかりやすく言えば。
「この演技は100円である」の「100円である」は「証明」であり「名詞的存在」だろう。
sing ← 動詞的存在 ← 想像界
a ← 不定的存在 ← 想像界と象徴界の重なり部分であり非現実である意味
song ← 名詞的存在 ←象徴界
って話じゃないかね。
要するに君は君の脳内で「自分を寵愛し且つ粗末に扱う」という文章を、想像界と象徴界の関係性、ラカンの言う「構造」、欲望と欲望の抑圧という君の心理と同じ意味だと改ざんしようとしたのではないかね。
君が「殴る蹴るされたときの話」をしたとき、君はその「自分を殴る蹴るしたムショ帰りの人」に「承認欲求」はなかったか?
その「殴られたこと」とは、その「ムショ帰りのおっさん」が君に与えた「sing a song」の「a song」であり、「この演技は100円である」の「100円である」ではかったのかね。
寝起き。その人への承認欲求くらいはわたしにもあるが、父に打たれる、父は愛しているから僕を打つんだの父に打たれる第二幻想って話は腑に落ちやす過ぎ、それは欲望の肯定ではなく、逃れがたい形式だって話だろか。
寝起き。その人への承認欲求くらいはわたしにもあるが、父に打たれる、父は愛しているから僕を打つんだの父に打たれる第二幻想って話は腑に落ちやす過ぎ、それは欲望の肯定ではなく、逃れがたい形式だって話だろか。
君にとってそれは「逃れがたい形式」なんだな。
強迫反復とはそういうもんだ。
欲望の肯定だろう。
「父は僕を思ってくれてるから」と妄想することによって欲望(平たく言えば承認欲求)が肯定されておる。
まあ「腑に落ちてる」わけだな、君は。
現実なんてものは「腑に落ちやすすぎること」であったりする。
暴力において殴った人(主体1)を殴られた人(主体2)が(主体2)として想像する故、主体2は暴力それ自体ではなく、あくまで(主体2)の派生物、双数的な関係を幻想として思考する継起や転移があり…それは形式であると…
さ、腑に落ちたんなら、こんなところでかまってちゃんしてないで、その「ムショ帰りの人」に「僕を殴ってください」と頼んでこいよ。
あんたがヨマさんとこで私に「移ってやろうぜ」って言ったのはそういう意味か
無意識的な形式であり、どっちかってと「構造」だな。
双数的とは限らぬ。「母」との蜜月という双数的欲望関係から逃走して「父」を欲望するわけだからな。
逆に「父は僕を思ってくれているから僕を打つんだ」とは象徴界という第三者の世界への参入した理由としての妄想でもあるわけだ。
「僕が去勢された理由」という物語。
>そういう意味
どういう意味?
君のような「欲望の抑圧」形式は、精神分析、心理学の分野においては「発達した人格」となっておる、とは向こうでも述べただろう。
君がヨマに対して「俺のようになれ」と説教するのは、「欲望の抑圧」形式が希薄なヨマを「大人にさせる」ことになろうよ。
わたしが「こっちでやろうぜ」と言ったのは、君とヨマが別々の欲望の形式であるゆえ、説明するのがめんどくさかったから。
>どういう意味?
脳内キルケ<「お前はその人に殴られて来い」「所詮君は殴られることで妄想に浸れる坊主だ」という意味。
>「お前はその人に殴られて来い」
は今のわたしはそう思っているが、「こっちでやろうぜ」と言ったときには、君の心理をそのようには解釈しておらなんだ。
純粋な死の欲動の発露の可能性もあったからな。
今回君は「名詞的存在」を「証明」としていることから、君のその心理は大文字の他者の欲望だと解釈した。
>君がヨマに対して「俺のようになれ」と説教するのは、「欲望の抑圧」形式が希薄なヨマを「大人にさせる」ことになろうよ。
私はヨマさんには病んでほしくない。狂気を孕むという自覚で病んでほしくない。けんども。
>私はヨマさんには病んでほしくない。
そうか、わたしはどっちでもよい。
ヨマは今の時点で病んでると思ってるけども。
なんども言っているが、ラカン派は「病んでない人間」を想定しておらぬ。
人間には精神病と神経症と倒錯の三種しかいないと。
精神分析自体が「発達した人格」すなわち「大人らしさ」である心理も、神経症という精神疾患だと考える。
>「所詮君は殴られることで妄想に浸れる坊主だ」
これなんか、君が「殴る蹴るされた」ことを話している際、君が「自分を殴る蹴るしたムショ帰りのおっさん」に対する承認欲求を持っていたと認めたのであれば、その人が見ているであろう可能性の低いヨマブログでそういったことを考えるのは「妄想に浸っている」となろうさ。
「坊主だ」ってのはよくわからんけどな。
まあ確かに仏教僧というのは、小乗仏教などは「欲望の抑圧」を過剰にして煩悩を滅却するアプローチだとは思うが、そんな連想はしてなかった。
>だとは思うが、そんな連想はしてなかった。
了解了解。
連想できるぶんには抑圧自身も欲望として?回生されるから良い、のかな…
>だとは思うが、そんな連想はしてなかった。
了解了解。
連想できるぶんには抑圧自身も欲望として?回生されるから良い、のかな…
何が「良い」のかわからんが、君の今回の連想には「欲望の抑圧という欲望」が解釈できる、という話をわたしはしている。
誰にとってどういうことが「良い」と言ってるの。
「坊主」という単語には「子供」という意味もあるな。
もし仮に君がそういう意味で言っていたなら、わたしは向こうで散々「こうもりの欲望の形式は精神分析、心理学が「発達した心理」つまり「大人の心理」とすることだ」と述べていたのに、なぜ「子供だ」と言われたと思ったのかね?
わたしが言った「ヨマは幼稚だ」という言葉にも噛み付いておったな、君は。
君は「大人コンプレックス」があるのではないか?
その大人とは大文字の他者であろうが。
そうであれば、それは君自身の大文字の他者の欲望による症状だ。
君は「ヨマさんも殴られればいい」とか言ってたな。「男や自我なんてそんなたいしたものじゃないとわかるために」というような文章が続いておったと記憶しているが。
これは君の「欲望の抑圧」という欲望形式である自分のような大人の心理になりなさい、という意味だったんじゃないのか?
>誰にとってどういうことが「良い」と言ってるの。
私のように抑圧かけてる人には例えば殴るその人とのあいだに「そこになんかあった」と
行ける、回生機構か、そこへの自覚が生まれるのは「良い」と判断できるが…
抑圧かけてる人の抑圧周囲の部分って「それぞれ」だから、あんまり判断するアレじゃないって話も分かる。
>そこへの自覚が生まれるのは「良い」と判断できる
君はそう思ったんだな。
まあ欲望の抑圧であれ単純な母子双数的な欲望であれ自分の欲望を分析させるのが精神分析である。
>わたしが言った「ヨマは幼稚だ」という言葉にも噛み付いておったな、君は。
ヨマさん「俺は俺なりに社会に適応してきたんだ!」みたいな、
そういうのを私がヨマさんの叫びっぽく受け止めてしまったので、
たぶん、なぜヨマさんのそこを認めないのかという反発があった
コンプレックスの三角形か…
社会に過剰に適応しようとして社会に適応できなくなるのが過剰適応からくる適応障害だな。
>君は「ヨマさんも殴られればいい」とか言ってたな。
言ってない。
男や自我なんてもんがいかに弱いものであるかを確認するために
身体的に弱ってみればいい…って言った。
>「俺は俺なりに社会に適応してきたんだ!」
これは大文字の他者への欲望が強いお前の叫びなんじゃねえの。
社会に適応することが狂気をはらむ場合もある。
精神医学上正常な人間が自殺することもある。
>言ってない。
そっか、そりゃすまんかった。
しかし君はヨマをAAで殴ったよな。
そして直後「自分が殴る蹴るされたときの話」をしたよな。
それはどういう意味で君は言ってたのだ?
>>「俺は俺なりに社会に適応してきたんだ!」
これは大文字の他者への欲望が強いお前の叫びなんじゃねえの。
かもしれん…
幼稚であることと社会へ適応することは別用件で矛盾しないしな
解離の話であんたがいってたことだなたぶん
>解離の話
どの話だろうwww
あー解離性同一性障害の、「ジキルとハイド」みたいに「別人格が反社会的だ」というのが誤った見方で、実際の解離性同一性障害者には別人格が社会的であることが多い、ジキルが別人格であることが多い、って話かね。
>しかし君はヨマをAAで殴ったよな。
そして直後「自分が殴る蹴るされたときの話」をしたよな。
それはどういう意味で君は言ってたのだ?
ちと思い出す…
社会に適応した人がたまたま適応できただけなのに
社会で生きて行く気あんのかよって言う人が
私は信じられずに
もうちょい屈託を持ってくれよって言う気はしていた。
>あー解離性同一性障害の、「ジキルとハイド」みたいに「別人格が反社会的だ」というのが誤った見方で、実際の解離性同一性障害者には別人格が社会的であることが多い、ジキルが別人格であることが多い、って話かね。
そうその話。
「どの社会」にもよると思うんだな。
たとえば刑務所内の囚人同士には囚人同士の社会がある。それは一般的な社会より厳密で抑圧的であったりする。アメリカなどでは幼児性愛者の犯罪者は刑務所内で他の囚人に殺されることが多いから、隔離して収監してるところもある。
ヤクザなんかもヤクザ社会ってものがあろう。
暴走族なんかもその集団内のルールには厳格であったりする。
一般人の一般的な社会(そういうものがあればだが)に適応しようとすることと、ヤクザがヤクザ社会に適応しようとすることは、精神分析上同じ「大文字の他者の欲望」だとなる。
>社会に適応した人がたまたま適応できただけなのに
社会で生きて行く気あんのかよって言う人が
あ、ヨマさんの話じゃなくなってしまった
「俺は俺なりに社会に適応してきたんだ!」って言う人が他人に対しては「この社会で生きる気あんのかよ」って言うのが私は信じられなかった
>社会に適応した人がたまたま適応できただけなのに社会で生きて行く気あんのかよって言う人
これはヨマだってことでよいかな。「踵の高いサンダルを履く女」についてヨマは「社会で生きていく気あるのか」と言ってた記憶がある。
わたしはヨマは社会に適応できてないと思うけどな。
君に見られるような「欲望の抑圧」形式が見られない。
>あ、ヨマさんの話じゃなくなってしまった
どっちだよwww
>「俺は俺なりに社会に適応してきたんだ!」って言う人が他人に対しては「この社会で生きる気あんのかよ」って言うのが
これは論理的に整合しているんじゃね。
社会も「大文字の他者」という共同幻想でしかないのだから。
ヨマがその脳内で適応してきたであろう妄想「社会」において「生きる気あんのか」と思ったのであろう。
そしてわたしは彼が「自分が適応してきた」と思っているであろう妄想の「社会」を生きたことがない。
>わたしはヨマは社会に適応できてないと思うけどな。
ヨマさんリアルでは他人とかなり話し通じてるみたいなことを言うじゃん…
ヨマさんにはたぶん属している社会があるんだよ
>ヨマさんにはたぶん属している社会があるんだよ
まあそうかもしれないが、ヨマのそれはわたしが体験したことない「社会」なので、「妄想だ」とするしかない。論理上。
>ヨマさんにはたぶん属している社会があるんだよ
これは君が殴る蹴るされた話をしたときに自分を殴る蹴るした「ムショ帰りのおっさん」に対する君の承認欲求が認められることと同義であるな。
>ヨマさんにはたぶん属している社会がある
彼が属しているのは「三角形」である「社会」というより、母子双数的人間関係だな。
>>社会に適応した人がたまたま適応できただけなのに
>社会で生きて行く気あんのかよって言う人が
>
>あ、ヨマさんの話じゃなくなってしまった
>
>「俺は俺なりに社会に適応してきたんだ!」って言う人が他人に対しては「この社会で生きる気あんのかよ」って言うのが私は信じられなかった
「この社会で生きる気あんのかよと言う人」は変えず、「社会に適応した人がたまたま適応できただけ」の部分を言い換えているということは、君はヨマが「社会に適応した人がたまたま適応できただけの人」だと思ってないわけだな。
>君はヨマが「社会に適応した人がたまたま適応できただけの人」だと思ってないわけだな。
うん。そのとおりだす。
>「俺は俺なりに社会に適応してきたんだ!」って言う人が他人に対しては「この社会で生きる気あんのかよ」って言うのが
これなどはそれこそ「社会」という症状における「排他」であろう。
「社会」という症状はむしろ「排他」する誰かがいないと成立しない。
社会学で言う「切断操作」だな。
君はなぜ
>「俺は俺なりに社会に適応してきたんだ!」って言う人が他人に対しては「この社会で生きる気あんのかよ」って言うのが私は信じられなかった
のか、もちっと説明してくれんか。
あ、すまん、こっちのがいい。
なぜ君は
>社会に適応した人がたまたま適応できただけなのに
>社会で生きて行く気あんのかよって言う人が
>私は信じられず
のか、説明しておくれ。
「社会に適応すること」とは「この人は社会に適応してない」と誰かを「社会」から「切断」することであるとわたしは思うのだが。
大文字の他者の欲望、欲望の抑圧という欲望形式、三角形の欲望形式は、誰かを切断せずにいられない。
そもそもその欲望形式は「母」を「切断」して「父」を欲望することだから。
誰かが努力して社会に適応できたんだって自覚があって叫んでるのなら
他の誰かに対して「この社会」とか言うのは何か変だし「生きてく気」を問うのも教条的だ
どうせ言うなら「おらが村であんた生きられねえバッテンだ」のほうが清清しい
>どうせ言うなら「おらが村であんた生きられねえバッテンだ」のほうが清清しい
ああなるほど、「切断操作」として「遠回しだ」と言ってるわけか。
>教条的だ
何がどう「教条的」なのかがわからんが、「遠回しだ」という意味ならわかる。
こうもりにとっての「教条」って何。
具体的に。
むしろ「その社会」に「「生きてく気」を本気で問うのが精神分析だけどなあ。
「君の「その社会」を「生きていく気」について、自分自身で考えてみてくれ」
というのが精神分析。
その主体の大文字の他者の欲望を見つめさせることになっだろ。
>こうもりにとっての「教条」って何。
具体的に。
はてなで言えば最近(!)「高学歴の世界」と「低学歴の世界」の関連記事が盛っているが
そこに仰仰しく「世界」なる言葉を持ってして値している
誰かがいることはことは教条的ではないのかね…
この記事の話にもなるが、その人がその人の「生きる意味」を、他人に投影してなすりつけたりせず、きちんと考えさせるのが精神分析。
その結果「自分の生きる意味がわからない」となればそれはそれで「欲望からの、かつ欲望の抑圧からの解放」となろうよ。
煩悩の滅却にな。
>そこに仰仰しく「世界」なる言葉を持ってして値している
>誰かがいることはことは教条的
人間の心理が「誰か」すなわち「他者」がいないと成立しないもんだからな。
君だって「ムショ帰りのおっさん」という誰かがいると思ってヨマブログでその人に対する承認欲求をあらわにしたんだろ。
>むしろ「その社会」に「「生きてく気」を本気で問うのが精神分析だけどなあ。
だからヨマさんとか「この」「社会」っていうのさ
それは私の中では「この」「野郎」に近いんだよ…
ああ、これがホモソーシャルか…
君は君自身の「教条」についてちゃんと考えるべきではないかね。
>ああ、これがホモソーシャルか…
精神分析の言う「同性愛」とは男女性に限らず「自分と同じ性質の他者を愛すること」だからな。
>君は君自身の「教条」についてちゃんと考えるべきではないかね。
それはelveさんが私に言った
「貴様は人の規則ぶつくせに自分の規則がない振りしてんじゃん馬鹿じゃん」っていう意味に近いな。
了解した…
「馬鹿じゃん」とは思わないけどな。むしろ君は「馬鹿」になれてない。
「精神分析は、馬鹿を利口にすること以外はなんでもできる」
「馬鹿じゃん」とは思わないけどな。むしろ君は「馬鹿」になれてない。
「精神分析は、馬鹿を利口にすること以外はなんでもできる」
>「馬鹿じゃん」とは思わないけどな。むしろ君は「馬鹿」になれてない。
ああそうだ、私はelveさんに
「あんたは勝手にもててればいいんですよバーカバーカ」って言って
elveさんは「なんかもててるみたいじゃないかわーいわーい」って言ってたんだ
くそ…私としたことが…
やっとこの喫茶店がどういうところかわかりはじめたようだなwww
君がその「教条」をきちんと考えていけば、母子双数的な想像的関係にいきつくかもしれん。
ヨマみたいな考え方になるかもしれん。
そこからさらに退行しなければ煩悩は滅却されなかろう。
逆に母子双数的な想像的関係が三角形の象徴界含む欲望形式を抑圧することもあるけどな。
「父」か「母」か、象徴界か想像界か。
八割の人間の心理としての悩みはそういうもんだ。
神経症の悩みとはな。
それが先鋭化したのが強迫症ってだけで。
こうもりみたいな人間はそこらじゅうにいるのでお腹いっぱいです。
「我々は膨大な双子として生まれてきたかもしれないのに?」(丹生谷貴志「あるいはモネの花束のように」)ですよ!
やっぱお前にぶちんファンだったか。
お前「ぶっかけ」ってHNの前に違うHNで絡んできたことなくね。
はすみん読まずににぶやんだけ読むのは駄目だって強迫神経症の人に言われたけどな!
そんなの私は気にしない!
まあ双子であろうが三角形だろうが他者の欲望に囚われてるのは同じ。
欲望とは他者の欲望である。
欲望の抑圧とは大文字の他者の欲望である。
>はすみん読まずににぶやんだけ読むのは駄目だって強迫神経症の人に言われたけどな!
誰々?
まあはすみんの方が清々しくなさが清々しくてよい。
>お前「ぶっかけ」ってHNの前に違うHNで絡んできたことなくね。
HNちょくちょく変えてるからどっかで会ってるかもな!
「…」って転移を挑発してるように思うんだよなあ。
「…」多用する奴ってかまってちゃんみたいに思える。
にぶちんも「僕の…を読み取って!」というかまってちゃん臭がかなわん。
>HNちょくちょく変えてるからどっかで会ってるかもな!
はてなIDでにぶちんの講演会を紹介してきた奴がいて「キモ」って反応したらわたしブログをブログで二回ぐらいにわたって攻撃してきた人がいるんだが、お前かい?
ID忘れたけど。
>誰々?
はてダのsk-44
ちなみに彼は今リア充してるから日記更新してない。
はすみんはにぶちんが「…」で書くのをあきらめたことを書こうとする努力がよい。
「二重の倒錯」なんかはすみんの自分語りとして実際に会ったことがあるわたしが言い得て妙だと思える。
>「…」多用する奴ってかまってちゃんみたいに思える。
あんたがそう読み込むのは勝手だが
私は「…」は単なるリズムだと思うんだよな
>はてなIDでにぶちんの講演会を紹介してきた奴がいて「キモ」って反応したらわたしブログをブログで二回ぐらいにわたって攻撃してきた人がいるんだが、お前かい?
私はそれここに貼った覚えはあるが
あんたのブログにコメントしたことはないよ
>私はそれここに貼った覚えはあるが
やっぱお前か。
>ブログで二回ぐらいにわたって攻撃してきた人
君がブログで、って話。
>私は「…」は単なるリズムだと思うんだよな
リズムだけで意味が通じなくてよいならこういう記事を書けばよい。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-777.html
いまだにときどき2ちゃんでもこんな「創作言語」的レスをすることがある。
お前ブログであんだけわたしに毒吐いておいていまだにわたしと絡んでるのか。
キモイ奴じゃのう。
何年がかりだよ。
君は「なぜ…を多用するのか」という問いに「elveさんが怖いから」と答えておったろう。
それとリズムがどう関係するのだ?
君がelveさんを怖いくてなぜリズムを刻まなければならないのだ?
>君がブログで、って話。
私がブログ書いてたときあんたに攻撃した。はず。
で、お前がelveさんを怖がっていることと、「…」というリズムを刻むことに、どういう関係があるのだ?
>お前ブログであんだけわたしに毒吐いておいていまだにわたしと絡んでるのか。キモイ奴じゃのう。何年がかりだよ。
3年目。そろそろ潮時。
>君は「なぜ…を多用するのか」という問いに「elveさんが怖いから」と答えておったろう。
それとリズムがどう関係するのだ?
君がelveさんを怖いくてなぜリズムを刻まなければならないのだ?
なぜ…が復活してるのだい?→elveさんが怖いから
だった
で、私は怖い相手とは「…」で刻んで、間合いを計らねばならない。
いつ潮時か。
今でしょ!
なるほど、「…」とは「間合い」なわけだな。
君がここを読まなければよっぽど「間合い」が取れるぞ。
そもそも君が丹生谷の講演会についてコメントしたのは、君の「かまってちゃん」心理だったんじゃないかね。
まあお前が強迫神経症であるのはわたしの中でほぼ確定された。
>間合いを計らねばならない。
同調性か…むしろ逆の「させられ」に転じることもある…
そこで私は転移を呼び込むかまってちゃんと読まれうる。ん。
そこを読まれたくないって思いはいつもあるんだがな。
お前は自分の言動が自分のどのような心理によるものか、きちんと考えてみなさい。
お前が他人を攻撃していることは、お前自身にあるお前が嫌いなお前の部分であろうよ。
「人間は自分の欠陥を他人に見出して攻撃する」
まさにそういう人だったな、君のブログは。
>そこで私は転移を呼び込むかまってちゃんと読まれうる。ん
君が丹生谷の講演会に誘ったのは、君の転移ゆえじゃなかったのかね。
「丹生谷が好きな人だろう」という転移があったんじゃないかね。
わたしがお断りしたらお前なんかぐだぐだ言ってたよな。
君が「間合い」を取って隠そうとしているのは、君が嫌う君自身である、「転移する僕」ではないかね。
君はわたしについて「キルケさんも転移している」と言っていたが、丹生谷の講演を誘ったときの自分の転移の防衛だったのではないかね。
あのブログの人間なら、お前も転移に執着する人間だ。
わたしについていろんな転移してたよな、お前。
>「人間は自分の欠陥を他人に見出して攻撃する」
まさにそういう人だったな、君のブログは。
私は噛み付いた。
>君が丹生谷の講演会に誘ったのは、君の転移ゆえじゃなかったのかね。
「丹生谷が好きな人だろう」という転移があったんじゃないかね。
あったあった
>わたしがお断りしたらお前なんかぐだぐだ言ってたよな。
今思っても転移過剰だった。
「ぶっかけ」というHNも、お前がブログで書いたわたしへの攻撃が「ぶっかけ」だったからじゃないのか?
今潮時にしようぜ。
わたしゃお前みたいなぶっかけ人間とは関わりたくない。
わたしの言葉も読んでほしくない。
自分がお誘いを断られたからって三年もつきまとうなよ。気持ち悪い人間だな。
>君が「間合い」を取って隠そうとしているのは、君が嫌う君自身である、「転移する僕」ではないかね。
転移する僕との間合いについて言えば私はそれほど嫌ってもいない。
それは踏ん切りになる。
わたしの意志は、君の脳内からわたしを消去してくれ、というものだ。
>今潮時にしようぜ。
わたしゃお前みたいなぶっかけ人間とは関わりたくない。
わたしの言葉も読んでほしくない。
了解。
>それは踏ん切りになる。
「潮時」という「踏ん切り」つけなよ。
はい、終了。
ばいばい。
>わたしの意志は、君の脳内からわたしを消去してくれ、というものだ。
大丈夫。その心配はない。
あんたの言葉は私の中にそれほど入っていない。はじめから。
>転移する僕との間合いについて言えば私はそれほど嫌ってもいない。
自分が転移を嫌ってないからと言って他人も転移していると思うのは以降やめた方がいいぞ。
「間合い」を取れてないことになる。
「…」と書けば「間合い」が取れるというのが甘く見てるんだよ、お前は。自分の転移を。
欲望とは社会という大怪獣でもあるが、台所の下に隠れるゴキブリのようなものでもある。
お疲れ。手間取らせた。謝る。さよなら。
>あんたの言葉は私の中にそれほど入っていない。はじめから。
それで「丹生谷が好きなんだろう」という転移をしたわけか。
自分がどれだけ「妄想に浸っている」人間かこれでわからないか?
はい、ばいばい。
もう戻ってくるんじゃないぞ。
>自分が転移を嫌ってないからと言って他人も転移していると思うのは以降やめた方がいいぞ。
「間合い」を取れてないことになる。
他人は他人だよ。間合い取れないからこっちから行くってだけ。それはこっちの話。
他人がそうやすやす転移しているとは私は考えない。
他人は他人だから君の思う「間合い」も君の脳内の妄想でしかない。
AとB二人のあいだの心理的距離だとして、AのBに対する心理的距離とBのAに対する心理的距離は違う。
>他人がそうやすやす転移しているとは私は考えない。
そりゃ人間は自分が転移している相手しか「その人が転移している」とは思わないものだ。
>それで「丹生谷が好きなんだろう」という転移をしたわけか。
自分がどれだけ「妄想に浸っている」人間かこれでわからないか?
それで分かった。
はよ「潮時」しなよ。
しつけーなー。
実際君は丹生谷の講演会に誘ったときから「…」を多用しておったが、君はわたしに「転移」しておったんだろ。
「間合い」を取れていないじゃないか。
「間合い」が「…」でどうこうできるものであればお前の悩みも成り立たないじゃろ。
三年にわたってわたしにつきまとうこともなかろう。
>AとB二人のあいだの心理的距離だとして、AのBに対する心理的距離とBのAに対する心理的距離は違う。
だからA→BでAが間合いを取ろうとするのは妄想になる
それはAがA←Bをすでに取り込んでいる。そこには距離がない。
であるから被害妄想は直接的になる。「無間地獄」。
君の三年におけるわたしとの関わりは、君のわたしに対する転移という妄想だけだった、というわけだ。
「潮時」としてよい結論じゃないかね。
うん。
>だからA→BでAが間合いを取ろうとするのは妄想になる
>それはAがA←Bをすでに取り込んでいる。そこには距離がない。
>であるから被害妄想は直接的になる。「無間地獄」。
いや違うな。被害妄想とは部分対象的な、いわば自分の「欲望が散逸する」自分に対するおそれがある、という意味で「被害妄想とは直接体験的だ」という話。
直接体験とは現象学の概念であって、自我と他我以外のところから自分が受動的に受ける体験である。
君のその考えは自我と他我の関係じゃろう。それは「負の転移」となろう。特に君の場合大文字の他者に対するな。
もちろん大文字の他者に対する欲望は死の欲動を下敷きにしておるから、ヨマの「おまえと同じ」という欲望と比べて「直接体験」の要素はありえるが。
わたしが書いた文章は、「被害妄想とは直接体験【的】であり、被害とは間接体験だ」と書いておっただろう。間接体験の方には「的」とつけていない。
ここでは欲望の抑圧と死の欲動の差異は論じてないから「的」と書いたのであるよ。
君の被害妄想は、あくまでヨマの欲望と比べて「直接体験的」ではあるが、君の書いている条件である「それはAがA←Bをすでに取り込んでいる」というのは間接体験だ。
被害妄想も被害も妄想であるが、あくまで被害妄想の方が現実【的】だと言う話。
今回などはヨマという具体例があるからわかりやすかろう。
わたしからすればお前もヨマも妄想の国の住人であるが、君の方が現実の国に近いだけ。
現象学は「ひねくれた欲望」である「欲望の抑圧という欲望」は論じておらんからな。
君がそこで使っている「無限地獄」は、わたしが使っていた「無限地獄」という意味とは違う。
残念。
はい、ばいばい。
お前はヨマブログでもわたしブログからの引用を使っておったが、君もわたしの言葉の意味を改ざんして理解しておる。
君が理解している「キルケさんの言葉」はわたしの言葉ではない。お前の言葉だ。
君はやけにわたしの言葉を引用しておるが、間違えて理解しておるぞ。
「被害妄想とは直接体験的であり、被害とは間接体験だ」というのも。
「それはAがA←Bをすでに取り込んでいる」というのがまさに間接体験である。
「間合い」を取って言葉を受け取ってくれよ。
お前わたしが書いた言葉を自分の言葉として使っているわけで、わたしに対する同一化じゃろう。
「…」と書いたら「間合い」が取れるという妄想のせいでお前は自分の「間合いの取れなさ」を見逃しているんじゃないのか。
まあ「俺の言葉」として使ってるならいいんだけども。
今後君は「被害妄想とは直接体験的である」という言葉を使う際は、わたしの意味ではなく、自分の意味として述べたまえ。
わたしの言葉とされるのは、わたしの意味が改ざんされることになるからな。
さ、しゅうりょ。
二度と戻ってくるなよ。
「あんたの言葉は私の中にそれほど入っていない。はじめから。」
なら、「被害妄想とは直接体験的である」などというわたしの文章など引用せず、「はじめから」自分の言葉で述べろよ。
ったく。
>そりゃ人間は自分が転移している相手しか「その人が転移している」とは思わないものだ。
去勢済み主体は、だな。
ラカンが去勢の読み替えとして鏡像段階を論じたのはこういう意味だ。
置く。
>そして今「潮時」できずにぐだぐだ言ってるのも、君は自分の転移をあきらめきれてないことじゃないだろうか。
私がそもそもの「[原因]を<私>と作ってた」(転移)って分かった。今は、原因?−私?−原因を作ってた<私>?で三角形を作って<私>に怒っている?状態。
>転移・欲望が心理的な人間(自我でも他者でもよい)という条件だとするならば、君は自分が人間である自分を持て余しているのではないだろうか。
「私が?人間である自分を?持て余している?、?」の状態。私は説明下手だ。??は人間でなくても出来る。はず。
>>誘拐記事をスクラップする高校生
これとつながる気がする。
こうもりはyokato41を誘えばよかったんじゃねえの。
確かに引用癖では私と共通する。誘えばよかったが私がyokatoさんを知ったのは講演後であった。ちなみに私はyokatoさんがtwitterやってたときブログのこととか何も知らずにフォローしていた時期がある。
>で、elveさんに迫ったのかww
私はelveさんに強迫、無理強い的に会話を迫ったと思う。それしたのはelveさんに悪かったなって思ってる。
>ちょっと追求してたような気がするな。でも全然嫌じゃなかった。
ホモでもしてみるかw
…むむむ。
>>自ブログでわたしへの悪口を散々書き立てた人であることが判明した。
>こうもりさんはブログを持っているのかい。
2年半前からブログを持っててそこでキルケさんにもギャンギャンやってた。ブログはもう持ってない。私はそれしがちなこともあり3,4ヶ月でブログごと削除する癖がある。今はtwitterとtumblerとで一人でキリキリ舞いしてる。
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ホモソーシャル。
ホモソーシャル (Homosocial) とは、ホモフォビア(同性愛嫌悪)とミソジニー(女性嫌悪)を基本的な特徴とする、男性同士の強い連帯関係のこと。それ自体同性愛的なものでありながら、男性同性愛者を排除し、異性愛者同士で閉鎖的な関係を築く。
概要[編集]
ホモソーシャルは体育会系などで顕著に見られる男性同士の緊密な絆で、ミソジニーあるいはホモフォビアが伴う。ホモソーシャルな関係によって、強制的に異性を愛すること、そして女性の家事労働に頼ることが前提として成り立っている家父長制が構成される。
ホモソーシャルの概念を提唱した、アメリカのジェンダー研究者のイヴ・セジウィックは、「二人の男が同じ一人の女を愛している時、いつもその二人の男は、自分たちの欲望の対象だと思っている当の女のことを気にかける以上に、はるかに互いが互いを気にかけている」ことを指摘した。
なお、研究者の中には、この概念を女性同士の関係にも適用し、「女性のホモソーシャル」を論じる者もいる。東園子は、やおい・ボーイズラブを好む女性オタク(いわゆる腐女子)や演者は女性だけで構成されている宝塚歌劇団のファンの女性の間でホモソーシャルな絆がみられると論じている[1][2]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%A2%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB
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転移
transference 精神分析において被分析者が、過去に親などの重要な人物に向けたのと同じ感情や態度を分析家に向けることをいう。 防衛の一種。現在は精神分析に限らず、力動的な精神療法においても広く使われている。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C5%BE%B0%DC
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>>私が転移過剰に相手に迫るのはキルケさんだけに限ったことではない。だいたいの人にそうなる。私が人間関係うまくいかないのも道理だ。
>ここでも転移の使われ方の意味がわからない。もし、こうもりさんが転移を感情移入と言う意味で使っているのなら人間関係がうまくいかないのは、感情移入のやり方の問題であって感情移入という行為が悪いわけではないんじゃないかな。
転移の意味は上の説明であるらしい…
私が「過去に親などの重要な人物に向けたの」と「同じ感情や態度」を他者に向ける」と転移していると言える。それが過剰だと転移過剰と。
私は他者との間で「感情移入」がうまく運ばないほうだと思う。
たしかに「感情移入」は悪いわけではないと思う。
>>誘拐記事をスクラップする高校生は自分をどこかへ連れ去りましたはい。
>誘拐されたいのかい。
ノーコメント。お天道様に一喜一憂するのは毎日が誘拐みたいなもんだべ愉快だべ。私は話をそらした。
文字化け。おき直し。
>そして今「潮時」できずにぐだぐだ言ってるのも、君は自分の転移をあきらめきれてないことじゃないだろうか。
私がそもそもの「[原因]を<私>と作ってた」(転移)って分かった。今は、原因(1)−私(2)−原因を作ってた<私>(3)で三角形を作って<私>に怒っている(4)状態。
>転移・欲望が心理的な人間(自我でも他者でもよい)という条件だとするならば、君は自分が人間である自分を持て余しているのではないだろうか。
「私が(2)人間である自分を(3)持て余している(1)、(4)」の状態。私は説明下手だ。(1)(4)は人間でなくても出来る。はず。
>私がそもそもの「[原因]を<私>と作ってた」(転移)って分かった。今は、原因(1)−私(2)−原因を作ってた<私>(3)で三角形を作って<私>に怒っている(4)状態。
まあ見事に「私」で完結しているな
>私が転移過剰に相手に迫るのはキルケさんだけに限ったことではない。だいたいの人にそうなる。私が人間関係うまくいかないのも道理だ。私はこの点の不合理を引き受けている。絶えず自分も含めた批判意識に晒されている。それを私は「させられ」と呼んだ。この感触からは簡単に出られるもんじゃない。
あなたは「させられ」ているんじゃなかったっけ
「(3)で三角形を作って<私>に怒」らさせられているのは何故だろうか
そして「原因」とは何か
よく分らんが適当なところで移動推奨w
あれだなぁ、大野さん猫も犬も不在で寂しいから
キチガイの相手もしてくれるかもと思ったけど
ダメっぽいなぁw
===
とはいえこういう「大文字の他者に対するコンプレックス的反発心が強い奴」というのは、わたしがときたまする政治系っつうか社会科学的な話ではわりと意味が通じたりするんだよな。
https://elve.hatenadiary.jp/entry/20130818/1376798285#c1377180138
===
を読んで真っ先に
大野さんとも社会科学的な話だけしてればよかったのにとか
ラッセンの話とかなら盛り上がりそうねとか思ったんだけどなw
あと、大野さんは怒ったわけではないと思うぞ
懲りたんだろうなーと思ったw
実名って大変だよなぁ、と外野的にまとめる
>まあ見事に「私」で完結しているな
「私」が意識されうるものなら完結すら困難な途上に「私」がいることに「気づく」、そしてそれが「私」になりうるのであれば尚更のこと。
>あなたは「させられ」ているんじゃなかったっけ
「(3)で三角形を作って<私>に怒」らさせられているのは何故だろうか
そして「原因」とは何か
不甲斐なさ…と言った途端に人間的なさせられだ。ここらへんはもうちょい考える。怒りと悲しみは同根なので意味から遠ざかる降ってこないしかしそこにも意味はあるけどもうちょい考える。ここで答えるかどうかは分からないが考える。
>懲り
セーシンブンセキが耐えるのが不可能なリアルであり終わりない切り刻まれの触知であれば「懲りる」のも一つの決意となりうる。とまとめる。
マグナもsk-44もメルも「どう思う?」って人に聞けるから私から見れば彼らは十分な大人だ。
その「考え」自体が、「原因」や「怒りや悲しみ」をこうもりさんの「意味から遠ざ」けているんじゃないの
まあ今は好きに語ればいいけど
つかあんたのブログ教えなよ
私の考え自体が、原因も怒りも悲しみも私の意味から遠ざけている。まあ私は精神的な意味で自分を無理にまとめにかける傾向はある。…ブログ、skasjhgeu。さっき作ったばっかだけど。教えた。
まあブログ主じゃないのでどうでもいいんだけど移動してくれって言われたら移動してやれや。