No.0481
2014年7月20日
撤回撤回
明日頑張って小野伸二を観てこようと思う。
https://elve.hatenadiary.jp/entry/20140719/1405772258
あーだめーもーむりー
と言うわけで引き籠り続行ですw
是非フォローしてください
最新の情報をお伝えします
明日頑張って小野伸二を観てこようと思う。
https://elve.hatenadiary.jp/entry/20140719/1405772258
あーだめーもーむりー
と言うわけで引き籠り続行ですw
是非フォローしてください
最新の情報をお伝えします
新婚旅行に行ってきました。
いやもう英語がわからなくて、わからなくて…
郵便局聞いたら普通「どこどこ」あるいは「わしゃ知らんがな」みたいな話になるはずが
「あんた何しにいくの?その荷物だって?送れるわけないじゃない、あれは手紙を送るところよ…え、送れるの?でもその地図じゃあたしゃわからないわよ。ちょっときいてきたげるから待ってなさい…わかったわ、その道を左に行ってロータリーの斜め向かいね」
らしき話ではないかと思われるおばちゃんのマシンガントークがダダダダダッとされて心が挫けました。
母語ですら他人の話を聞くのにストレスがたまるのに…。
お、帰ってきたのか。
楽しかったならよかったな(・∀・)スンスンスーン♪
マレーシア航空ではなかったので無事に帰って来れました。
ゴッホをみては「情緒不安定がうつりそう…」、
ルーベンスをみては「死にかけたオジサンの絵は飽きた」などと好き放題言って帰ってきました。
オランダは3位なのに大してサッカーに興味なさげなのが印象的でした。
ランダ、コメ欄移動しようぜー
こっちのこむすめもネタにするか・・・
いや、面倒だからいいやw
レタダちゃんはどうも「男性的抗議」の印象があるので「めんどくさそうだなあ」という考えになるw
elveさんよりは男性的だと思うよ。
だから精神分析しにくそうと。
いつぞや彼女が言ってた「鏡に映る私は私としか考えられない」とかっていうのは「男性的抗議」に思えてなあ。
女性の精神分析に対する抵抗「ペニス妬み」というのは「鏡に映る私(φとしての私)じゃない私がいる」というものである。
だからこそ女性というか精神分析に対して「ペニス妬み」で抵抗するヒステリー者は「鏡像段階によって疎外された主体」(「鏡に映ってない私」とはこれのたとえ)に気付きやすい、となる。
> その「なりたくなさ」がelveさんの頭の中にすでに最初からある「救い」なんじゃねえの、っつう話。
ああなるくらいなら死にたい。←死ねなかったwww
女性の精神分析に対する抵抗である「ペニス妬み」とは、精神分析の真骨頂である「疎外」に気付くためのヒントであるため、(あくまで男性の精神分析に対する抵抗である「男性的抗議」と比べてだが)精神分析は肯定的になるわけだ。
まあ外国のラカン派はしらんが日本のラカニアンでそう考えているのは向井雅明と小笠原晋也の二人ぐらいだけどな。
藤田博史とかは「ペニス妬み」を真っ先に排除するタイプであろう。
「ああなりたくなかった」から「死ねなかった」んじゃねえの。
まあ実際に会って会話しているelveさんの脳内こむすめと、elveさんの言葉だけでしか知らないわたしの脳内こむすめにはいろいろ違いはあるだろうけどな。
elveさんはレタダちゃんも「こむすめ」と表現していることから、例のこむすめにもファルス的なものを感じているのかもしれない、と推測された。
であれば「ああ(ファルス的な存在)なりたくなかった」から「死にたい」というのがヒステリーの理屈にはなろう。
ババァの方が私とそっくりで
私の脳内で私を許せてババァを許せない理由ってのが
突き詰めると外見要因のみになって
非常にやるせない
んで、年齢的にあのババァになる前には死にたいと思ったが
その頃には今の私の思考は死んでるんだろう
ソレで救われたことになるのかは知らんが
elveさんが考える「私はあのババアになる」というのが幻想であるということに気付いているか。
これが「疎外も妄想だと気付くこと」なんだが。
>突き詰めると外見要因のみになって
内面の違いもあるんじゃねえの。よくしらんが。
昨日のことなんだが
ババァが相変わらず仕事ため込んでて俺が渡す予定の仕事もたまりつつある
俺「ババァさん、(仕事)こっちでやりましょうか?」
ババァ「でもぉ〜あーだらーこーだらーで、いい、大丈夫」←話が長すぎでよく思い出せない
俺「でもの後が意味不明すぎwwww」
同僚「wwww」
ババァ「もういい!! 私喋らない!!」
俺「(*゜∀゜)=3(まじっすか、大賛成です) 」
同僚「・・・」
ババァ「・・・私もう喋らない!!」」
俺「(´・ェ・`) (なぜ2回言った・・・喋らないって3秒も守れてないじゃん・・・)」
ということがあった。
ほんとああいうババァにはなりたくないのだ
> elveさんが考える「私はあのババアになる」というのが幻想であるということに気付いているか。
神様に愚痴って「大丈夫だよ、君は空気読めるしそんな人とは違うよ」と言って貰うのを慰めにしているw
まあ逆に言えば「女性に精神分析はそれほど必要ではない」ってことかもしれんけどな。藤田や藤田ゼミ番頭の水上雅敏がまっさきにヒステリー≒境界例を排除するのは。
>俺「でもの後が意味不明すぎwwww」
>同僚「wwww」
ここらへんにelveさんの「脳内みんな」がある気がする。
「空気読める」から「ビリになれない」ということに気づこう。
脳内みんなかもしれんが
向かいの同僚が噴き出しているのを確認した
普通に考えてそのババアとelveさんに血縁がなければ遺伝子的にもまったく異なる個体同士だとなるだろ。
だから、相手の言ってることより感情配慮しちゃうから仕事できないんだよな
しかたねーよ、僕のママンはそこで感情配慮しないと爆発しちゃう人だったんだもん
門前の三つ子100まで経を読む
だから消し忘れたwww
elveさんが「意味不明」と言ったことについて「噴き出して」いるかもしれんけどな。
同僚「あのババアにマジレス返してるよwww」的な「吹き出し」であるとも考えられよう。
マジレスは返していいとわたしは思うけどな。
> elveさんが「意味不明」と言ったことについて「噴き出して」いるかもしれんけどな。
ソレはちょっと思ったw
elveさんのママンじゃない人はelveさんのママンじゃないだろ。
ババァが病院に行く暇もなくて薬が切れる薬が切れる騒いでいたが
あいつもメンヘラなのだろうか・・・恐ろしい職場である
elveさんがよくはてなの女性っぽい人と口論してるの見て「同じ穴のムジナが言い争ってるwww」みたいにニヤニヤすることはわたしはあるな。
俺が最初に出会った世界がそういう成分で構成されてしまったので
今更脳内世界を変えろと言われてもかわらねーよという言い訳
僕引き籠りだから言い争ったりしないモン!!www
まあ人間年食ったら精神科に限らずいろいろ薬漬けになるものじゃね。
うちの母親とか薬箱すんげーことになってる(ガン持ちだからだが)。
火に油を注いでるだけだよな。
というか、昨日のババァは妙に攻撃的(?)だったので
個人的に怖かったw
変えられなくて当然だがそういう脳内世界が妄想であることはelveさんはわかっているわけだろ。
それが「疎外に気付いている」ということなわけだよ。
普通の人はそれに気付けてない。
肉体が老化して行けば痛みや苦しみも感じにくくなっていくんだと思うのね
っていうか鈍感になっていって欲しいのね
そうすれば次回自殺未遂は未遂にならないと思うし
でも精神面もどんどん鈍感になったら
死ななくてもいい程度に落ち着くのかもしれないねw
本当は上司の機嫌取りじゃなくて指示通りに仕事した方が良いことは分かっているんだよ!!
でも、指示もそのときの気分で変わるんだよ!!(爆
だれだよ、メンヘラ管理職にしたの・・・orz
でその疎外が妄想であることに気付くのが精神分析の真骨頂であって、「妄想だけどかわらねーよ」とするのは別に構わない。
フランスなんかは精神分析けっこうメジャーでそれに対する揶揄の文章も日本と比べて大量にあるわけだが、その中にこんなのがある。
あるバーの常連客が、いつもバーの玄関におしっこをひっかけていた。
それに困った店主がその常連客に「お前精神分析受けてみろよ」と言った。
常連客は精神分析を受けてみることにした。
しばらくして。
常連客がバーにやってきた。以前と同じようにバーの玄関におしっこを引っかけた。
店主は驚いてこう言った。
「お前精神分析受けたんじゃないのか?」
常連客はこう返事した。
「ああ、受けたよ。俺がなぜこの玄関におしっこをしてしまうのかがわかったwww」
>でも精神面もどんどん鈍感になったら
どうだろうな。更年期障害をヒステリーと形容することも多いしな。
面の皮が厚くなる方向の鈍感さを獲得するのだろうか・・・
ババァも自分の生き様に耐えられないと思いつつ耐えているのだろうか・・・
合掌
逆に考えるんだ。むしろババアみたいにすらなれないまま年を取ってしまうのではないかと。
まぁソレはソレで「救い」かなw
だろ。
それが「穴を穴として耐えて生きることが救済である」ってことなんじゃねえの。
わたしは「救済」とは言わず「そっちの方が【まだマシ】なだけ」と言うが。
穴という選択肢がない不自由な世界よりも穴もある世界の方が自由でよい。
殺人分析家さんの言。
分析への導入が困難なケースはいろいろありますが,最も困難なもののひとつは,「わたしは,全く正常で,症状も何も無いのですが,分析家になりたいので,
教育分析をお願いします」と言ってやってくる比較的若い男性精神科医でしょう.自分が全く正常だと思い込んでいる人間ほど狂った者はいません.
このようなケースは,まさに大学の言説にひたりきっており,場合によって,かなりの揺さぶりをかけないと,夢すら語ろうとしません.
Lacan だったらけとばすくらいのことはしたかもしれません.
ヨマじゃねーかw
どうでも良いが忘れそうなので書いておく
俺「私の送別会はお化け屋敷でやりましょう」(会社の近所にある)
し「あ、ダメ、私霊感見たいのがあるみたいでそういうとこ行くと体調崩すの」
俺「あーじゃーだめっすね」
ババァ「アタシモー!!娘が霊感強くってーおかーさん何人連れてきたのって言われれr」
し「この水晶のブレスレットも気休めくらいにはなってると思うの」(ババァの話ナチュラルに遮断)
俺「うわー大変ですねー」
(´-`).。oO(・・・ババァの娘、俺の生き霊の声でも届けてくれないだろうか・・・)
ばばぁがどんな話にも首を突っ込み「アタシモー」というので
(そしてたいてい別に同じ点がなかったりするので)
シンママさんは不信感を募らせているのだった
ババァが精神安定剤とか飲みつつ必死に現状を維持してるなら
それはそれでもうちょっと生暖かく対応しなくてはなぁ
彼は大学の言説じゃなくて支配者の言説にひたりきっていると思うけどな。
分析家の対角線上にいるタイプ。
現代社会は、封建制や奴隷制や王政などという支配者の言説による社会から、民主化が進んで大学の言説になっているわけだが、そういう意味では時代遅れで現代になじめてないタイプ。
殺人分析家によれば、支配者の言説と大学の言説とは男(Φ)の言説で、この二つの言説にひたりきっている輩は「分析への導入が困難なケース」であるゆえ、(「精神分析が救済」と考える彼にとって)「男は救いようがない」となる。
シシマイに見えた。シングルマザーさんか。
>娘が霊感強くってーおかーさん何人連れてきたのって言われ
これほんとにそう言ったのかしらんが、これは「娘に対して鏡像関係を押し付けて娘の現実的な主体を疎外している」ことのたとえだったりするのかなあ、とうがったり。
この娘がアスペなんだっけか。
一般的な女性は男性と比べて「疎外」に気付きやすいと言ったが、自閉症は男女問わず一般的な女性より「鏡像関係によって疎外された自分」にもっとも気付きやすい人たちである。
こういった意味でわたしはよく「自閉症には男性が多いという統計があり男性的な症状だと思われがちだが、精神分析的には女性的な主体だと言える」と言う。
また「女性の男性より分析家になりやすい」という理由である「疎外に気付くこと」が容易な人たちなので「自閉症とは生まれながらの分析家である」とも言う。
だけどelveさんなんかもぶっかけたがりなので、elveさんが子供産んでそれがアスペだったりしたら、「おかーさんまた悪霊(自分を疎外する鏡像段階という圧力のたとえだとして)連れてきたわね」とか言われたりすんじゃねえの。
逆に娘と鏡像関係しようとして(それは普通の父母であって、自分自身が父母から鏡像関係という調教をされて「動物としての赤ん坊」から「人間」に生まれ変わるわけだが。「動物としての赤ん坊」が「疎外されている」わけだな)、自閉症は鏡像関係を親に限らず上手く結べない人たちであるので、ババアは一般的な親(それこそシンママさんとか)より「子供に対する親の欲望が不満な状態」であったりするだろうよ。
子供に対する親の欲望(これすなわち鏡像関係なのであるが)が不満なので、子供じゃないelveさんやシンママに「アタシモー」という鏡像関係(鏡に自分を映すことだから「アタシモー」となるわけだ)をしたがってるんじゃねえの、と。
まあアスペ親たちと話しているわたしからすると、こういう親が自閉症を苦しめているケースが恐ろしいことに7割とかそんなレベルであるので、自閉症を治療するよりこのババアみたいな「去勢を否認する倒錯親」を治療するのが先だろといつも言ってるわけだよ。
ババアが娘アスペじゃなければ「アタシモー」もあんまりなかったかもしれんが、逆に娘がアスペだからこそ「アタシモー」減らすように努力しなければならないと思うのだよ。
それはいわば「心理的ネグレクト」(by黒子のバスケ脅迫犯)をやる親になることでもあるが。
昼間「あーelveさんちに補足書き込みしよー」と思っていたことがあってそれだけ覚えてて今開いたが何を書こうと思ったのかを忘れてた。
どうでもいい補足しておくと、バーにおしっこひっかける話は、元々「精神分析は役に立たない」という批判というか揶揄として言われている小咄なのだが、分析家側からすれば「うんうん、その通り」って言う話なわけだよ。
あと「疎外」についてもう一度補足しておくと。
フロイトの自我、超自我、エスという三項で言えば、それらの関係は、
1.超自我が自我を抑圧する
2.自我がエスを疎外する
となるわけだが、1を「超自我が自我を疎外する」と言う場合も精神分析理論ではときどきある。
これはわたしがよく言っている「抑圧は死の欲動ではないが、死の欲動が関連した欲望である」ということだと考えてもらってよい。つまり、「抑圧は疎外ではないが、疎外が関連したものである」という意味だとわたしは解釈する。
で、一般的に人が「自分は疎外されている」と言う場合、大体が1である。彼らの言う「疎外」は精神分析理論上は抑圧である(もちろん上で書いたように精神分析理論上でもそれを疎外と言う場合もあるが)。
大体一般人はエスなんて理解してないもんだろ。であれば彼らが言う「疎外」とは「僕の自我は超自我に抑圧されている」という意味だとなる。
あと精神分析の言う「否認」とは、バーのおしっこ話で言えば、バーの玄関におしっこをひっかけているのに「俺は玄関におしっこなんてひっかけてない!」と言うようなことだ。
そういった場合まずそいつには自分が玄関におしっこをひっかけていることを承認してもらわなければならないわけだ。
前記事で分析家になる過程として、
強迫症者(男)の場合
「抑圧から解放される」→「(ラカン理論の言う)疎外に気付く」→「疎外というのも幻想だと気付き疎外から解放される」
(小文字の)倒錯者の場合
「抑圧の否認を承認させる」→「抑圧から解放される」→「(ラカン理論の言う)疎外に気付く」→「疎外というのも幻想だと気付き疎外から解放される」
ヒステリー者(女)の場合
「(ラカン理論の言う)疎外に気付いている」→「疎外というのも幻想だと気付き疎外から解放される」
として、ヒステリー者が一番工程が少ないから「女の方が分析家になりやすい」と書いたわけだが。
この小咄の場合、その常連客は自分が玄関におしっこをひっかけていることを否認していたわけではなかろう。
であればこの常連客のケースは強迫症者の場合の工程だっったと考えられる。
以前話した、「自己愛性人格障害者は、その肥大した、華々しく魅力的な自我と裏腹に、心の奥底に深い虚無を持っているものです」というのなんかは、「疎外」について気付けてないことからくる考えなわけだ。
こういった自己愛性人格障害者の「心の奥底の深い虚無」とは、「自我がなくなれば虚無だ」という思考による。
ところが、精神分析理論では、「自我がエスを疎外する」となっている。
自我がなくなればエスが現れる。
つまり、「疎外(されている自我ではない自分)」に気付きさえすれば、仮に自我がなくなっても、エスは残るので、虚無とはならない。
自己愛性人格障害者は自我に対する固着要するにナルシシズムなわけで、彼らの心の奥底にある「虚無」が意外に思われるかもしれないが、逆に自我に固着している(疎外に気付けていない)からこそ、「自我がなくなれば虚無だ」という考えになるわけだよ。
自己愛性人格障害者なども「疎外に気付けていない人たち」であるわけだ。
elveさんがブクマしていた「寂寥感、分離感」とかって話は、「超自我が自我を抑圧する」という話であって、「疎外」という話ではない。
心理学と精神分析学は別物ですぜ。
そもそも発症が違う。心理学とは哲学からの派生で、精神分析はフロイトが元々神経生理学者であったように科学からの派生だ。まあ科学自体が哲学からの派生であるので同じっちゃ―同じであるが。
この「疎外」という話は死の欲動に関するものだが、特に日米の心理学会は行動主義やロジャース派や自我心理学派やユング派といったような死の欲動を完全無視している学派で独占されているので、日本の心理カウンセラーが「疎外」を理解できているわけがないのだよ。
ちなみにわたしが引用した「母子カプセル」の記事にも「疎外」にあたる内容はない。
だが「超自我が自我を抑圧する」話として、具体例を織り交ぜて丁寧に説明しているのは評価できる。
elveさんがブクマしている記事は大雑把すぎてすんごくどうでもいい文章である。このぐらいの文章なら一年心理学まじめにやれば書ける。
ちなみに殺人分析家さんによると、英国や米国はプロテスタント国だから、死の欲動を完全無視する学派がメインになっている、とかゆってた。
プロテスタントって聖霊主義だからな。「愛がすべて」みたいなところはある。
なのでプロテスタントにとっちゃー東西分裂の原因となった「聖霊は父と子よりい出て」とか結構どうでもよかったりする。「父からだろうが父と子からだろうが聖霊が出てればいんじゃね」的な。
日本は心理学に限らず自然科学もそうだが大体米国学会におんぶにだっこだからな。
まあ物理学とか量子力学にしろ宇宙物理学にしろ今やられてる研究は膨大な予算がいるものばかりだから資本大国アメリカさんの一人勝ちになってるところはある。
まあなんだ、日本の学会的に「疎外」「alienation」って用語はマイナーなのでいくら心理学者の言説ぐぐっても書かれてないと思うよ、ってことで。
殺人分析家さん曰く「フランスではほとんどの心理学関係者はラカン派」らしいがわたしゃよくしらん。
>だが「超自我が自我を抑圧する」話として、具体例を織り交ぜて丁寧に説明しているのは評価できる。
これ精確に言えば
だが「超自我が自我を抑圧する」ことの派生である「去勢(抑圧)の否認である小文字の倒錯」の症状について、具体例を織り交ぜて丁寧に説明しているのは評価できる。
上に書いたように小文字の倒錯はヒステリー(女)と比べて精神分析の工程として余計に手間がかかる。
この余計に手間がかかる部分の説明として丁寧である、という話。
あー寂しさの話は増田からでー・・・別記事起こすかなー
どうであれ毒にも薬にもならないどうでもよい記事である。
ブクマしただけで読んでなかったのでよまなくてよさげw
読んでないのに「よくわからん」とか書くなよw
ざっとみてみて文字が頭に入ってこなかったので
とりあえずブクマした。正直長文乙www
妄想だって気づいて疎外から解放って
気づいたってとらわれてるモンはしゃーねーじゃん
そこ解放しても社会性を保持できるんだろうか
「自我がなくなれば虚無だ」
自我があっても虚無っすよ
最近ババァの様子がちょっと変で
その「変化」を気にしている自分がウザイ
8月に入ってもちょっと出社することになってしまったので
私が居る間はなんとか保って欲しい(;´Д`)
>気づいたってとらわれてるモンはしゃーねーじゃん
別にそれでかまわんという話だが。バーのおしっこ話はそういう話。
>そこ解放しても社会性を保持できるんだろうか
社会性が妄想である。
妄想だと気付くことが解放であって、とらわれている分にはかまわないので、社会性は保持できるだろ。
>自我があっても虚無っすよ
自我があるから(自我がないという)虚無が生じる、という話なわけだが。
精確に言えば、自我を持ってしまいそれが自分のすべてだと思い込む(すなわち疎外に気付けなくなる)から、自我がなくなったらすべてがないとなり、虚無になるだろう、と予測する、ということだな。
虚無虚無言ってる奴ほど自我が強いわけだよ。
だから「妄想だからそれをなくせ」と言ってるわけじゃねーってなんど言ったら。
妄想だと気付いて、妄想があるとする、ということだ。
「妄想は、妄想として、現実にある」というのはそういう意味。
ここの勝手な読み違えにはお腹いっぱいだわ。
「それ妄想だろ」と言ったら「妄想をなくせ」「妄想にとらわれるな」という意味を勝手に読み込まれる。
そんなことわたし一言も言ってねーだろ。
「自我がなくなったらすべてがないとなり虚無になるだろうという予測」だから、現在進行形で自我がありながら「予測」として虚無になることはありえるだろうよ。
>気づいたってとらわれてるモンはしゃーねーじゃん
>そこ解放しても社会性を保持できるんだろうか
ここらへんの話はelveさんはわたしじゃない別の誰か(elveさんの脳内の)と話しているわけだよ。わたしからすれば。
わたしはそんな意図で言ってるわけじゃないから。
それは気付いておけ。
「なくせ」とは取ってないけどもw
妄想だと気づけば割り切れるかというと割り切れないわよね、的な
ぼのぼのってまんがで確か主人公がなんか不安だかに襲われて
それを父にいうと「ソレは絶対一生無くならない」だか終わらないだか言われて
また不安に襲われるのだけれと、無くならないって
ちょっと安心して不安に襲われているとかそういうのがあった気がするw
> ここらへんの話はelveさんはわたしじゃない別の誰か(elveさんの脳内の)と話しているわけだよ。
そのへんは確かにハナしてるつもりなかったわw 独り言
>それを父にいうと「ソレは絶対一生無くならない」だか終わらないだか言われて
>また不安に襲われるのだけれと、無くならないって
>ちょっと安心して不安に襲われているとかそういうのがあった気がするw
まんがじゃなくて精神分析理論そのものの説明でもそのまま通るなw
ちなみにバーにおしっこひっかける話の男は強迫症だとしていたがヒステリーっぽい、と思った。
妄想じゃないものはないんだよ。現実は到達不可能。
だから妄想から解放されるということは妄想の淵に立つことで、それは具体的に言えば「妄想を妄想と気付く」こと。そこからelveさんに限らず大体の人間は「妄想と気付いたらそれをなくせ、そこにとらわれるなと言いたいんだろ」と勝手に言葉を付け足して返してくるのになんども「そんなことは言ってない」とする会話ばかりだったのでいらっとした。
なんでこう「妄想」であれば「なくす」とか「とらわれるな」って単語が接着剤でつなげたように出てくるんだろ。
>「なくせ」とは取ってないけどもw
そこは別の男に言われたことだ
正確に書きなおす。わたしが「妄想に気付くことが解放だ」と言うと、elveは「妄想にとられるな」という言ってもない意味に誤読し、別のある男は「妄想をなくせ」という言ってもない意味に誤読する。
この二人だけではなく、わたしがそう言うと大体「妄想をなくせ」「妄想にとらわれるな」などという、要するに「妄想を棄却する」意味を付け足してくるのにお腹いっぱいでいらっとくるんだわ。
お前ら変な洗脳されてんじゃねーの、と。
こんだけ「妄想は、妄想として、現実にある」とかバーのおしっこの話をしているのになんで「妄想を棄却する」というような意味を付け足してくるのかが理解できない。
独り言なら、こういう会話であって独り言と思いにくいような状態で言うなら、「独り言でした」とか付け足しておいてくれ。
elveさんが勝手にelveさん一人の脳内で、わたしが言ったのではない「妄想を棄却する意味」を考える分にはまったく問題ない。
elveさんの独り言はそれはそれでいいとして、わたしの「妄想に気付いて解放される」という文章は「妄想にとらわれるな」という意味で言っているのではない、ということだ。
結局すべては妄想だ、というのはニーチェと同じだが、そこで「妄想だから棄却する(とらわれないようにする、なくす)」となって、すべては妄想だからすべてを棄却するようになるのが、ニヒリズム、虚無主義だと思うんだよな。
精神分析は虚無主義者になることではない。
確認だ。
elveさんは、わたしが「疎外が妄想であることに気付いて疎外から解放される」と書いた文章について、「妄想にとらわれるな」という意味で読んでいたのか、読んでいなかったのか、どちらだね。
もし仮に君がわたしのその文章を「妄想にとらわれるな」という意味で読んで書いたのであれば、それは君の脳内わたしの文章「妄想にとらわれるな」に対する応答であるゆえ独り言ではない(elveさんの脳内では)となるよな。
一方、もし仮に君がその文章を「妄想にとらわれるな」という意味で読んでおらず、別の誰かに言われた「妄想にとらわれるな」という言葉を連想しただけであれば、わたしの文章に対する応答ではなく、独り言だとなる。
くだんねー嘘つくなよ。
解放となくせととらわれるがいまいちつながってない
解放=とらわれない ≠ない
だと思ったんだがよくわからんくなってきた
妄想と気づいたからといって疎外から解放されるんか?
的なことを書いたつもりが妄想をなくせととってるのかときかれ
いやそうでないから独り言です と
まぁ疎外がいまいち理解できてないのが原因か
くだらない嘘以外口から出ねーわwww
>妄想と気づいたからといって疎外から解放されるんか?
妄想と気付くことを解放だとわたしはしているわけだが、気付いて解放されるのか? と思うのは、解放の意味に「妄想と気付くこと」じゃない別の意味をelveさんが読み込んでいるからなんじゃねえのかい、と聞いているわけだが。
それが「解放」=「妄想にとらわれないこと」と考えているんじゃないか、と。
そうではなく、妄想にとらわれるのは仕方ないとしているのがバーの話。
妄想にとらわれていても、妄想に気付いていれば解放になる。わたしの意味では。
なぜなら、人の認知認識はすべて妄想であり、妄想ではない認知認識はない。
現実は到達不可能である。
であるので、「妄想にとらわれていない」ということがありえないわけだよ。
解放≠とらわれない
解放≠ない
という意味でわたしは言っている。
おk?
elveさんの「妄想にとらわれない」も別の男も「妄想をなくす」というのも、わたしの言う「解放」の意味ではないという意味で、わたしの脳内では「とらわれない」=「なくす」となっている。
「疎外に気付いていること」とはelveさんの「びりっこであれば愛される」という思考回路のこと。
わたしの脳内では
「妄想からの解放」≠「妄想にとらわれない」
「妄想からの解放」≠「妄想をなくす」
「妄想にとらわれない」=「妄想をなくす」=「妄想を棄却する」
「妄想からの解放」≠「妄想を棄却する」
となっている。
「疎外に気付いていること」とは、すべては妄想であることに気付くこと。
すべては妄想なのだから、「疎外されている」となる。
要するに、わたしの言う「妄想から解放される」という意味は、「妄想にとらわれない」とか「妄想をなくす」とかって「妄想を棄却する」という意味じゃないよ、ということ。
「妄想から解放される」ということはむしろ「すべては妄想であることに気付くこと」であるから、「妄想にとらわれない」や「「妄想をなくす」という「妄想を棄却する」意味ではないだろ。
「妄想にとらわれない」も「妄想をなくす」も、妄想から目を背けることになるだろ。
わたしの言う「妄想からの解放」は「妄想から目を背けること」ではない。
目を背けられる妄想以外のものが人の脳内にはないから。どこを見ても妄想だから。
ここで、ではすべてである幻想ではないものとは、それが何であれ、あるのかないのか、という問いが出てくるわけだが、わたしはそれをエスだとして「ある」としたり、それは到達不可能で「ない」としたりするが、ここを正確に述べるなら、「存在するものでもなく、存在しないものでもない」という意味で(仏教の「八不」などの語用にならって)「不-存在」と言ったりする。
また、幻想自体も、「存在するものでもなく、存在しないものでもない」である。
聖書から。
主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
これとか「ビリっ子であれば救われる」ってことなんじゃねーの。
elveさんが「売女に石を投げ続けるキリスト」ってネタにこだわるのは、「聖書の教え通りに「自分の弱さを誇る」「ビリっ子」でいるのに救ってくれないじゃん!」ってものだと思うのだが。
子供の頃カトリック家庭(日本じゃ珍しかろう)で育った父の影響を受けてか、そういった「聖人」というイメージがelveさんの中にあって、「聖人」すなわち「ビリっ子」であろうとしていた、ということなんじゃないだろうか。
殺人分析家さんが語る「分析家になりやすい女」についての表現がだいたいelveさんにあてはまってしまう(わたしの脳内で)。
カトリック国行けばよかったりしたんじゃなかろうか、おフランスとか。
フィリピンってキリスト教はアメリカ経由であろうからプロテスタントだったんじゃね。