自分を分析しようとすると一番影響が強かった母親のことを考える機会が増える。母親もいつ死んでもおかしくない年齢だし、私ももう死んでも不思議ではない年だ。忘却に備えてメモしておこう。
祖母w
いきなり別の話であるw
まぁまぁ。
母方の祖母は小柄な人で小樽で養女として育ったらしい。
幼い私には、よくほっぺたに唇を押し付けて空気を吹き付け「ブ~」っと音を鳴らすキスをする人だった。嫌だったw
お正月に祖父たちが餅をついてソレを手際よく、のしたり丸めてたりしていたのをよく思い出す。
テキパキとよく働き、近所の人とも交流があり、連休には自宅に子、孫たちが集う、なかなかできない老後を送っていたと思う。
祖母と母がそもそも微妙に仲が悪かったのではないかと思う。
信心深い人だったのか、ばあちゃんの家にはいつも「神様の水」が一升瓶に入れておいてあり、私は頭が痛い、お腹が痛い、具合が悪い、熱が出た等々のとき、神様の水を飲ませてもらえた。ただの水だけど、冷蔵もしてないのにいつもひんやりしていて、めちゃくちゃ効果を実感していた。すごい好きだったw
祖母の死後、ソレは日蓮宗系のお寺さんでもらってくる水だったらしいことを知り、なんだか衝撃を受けた(日蓮宗にあまりいい印象がなかったのでw)。
いつの間にか私は神様の水を求めなくなったし、祖母が倒れたときなども、神や仏の存在は出てこなかった。
後述するが、長男を亡くし、長男の子どもたちの面倒を見、夫を亡くし、脳こうそくで倒れ、自分の意志すら表明できなくなり、寝たきりで10年以上入院し、亡くなった。
どこかのタイミングで信心が折れてしまったのかもしれない。
兄弟
母は4人兄弟。兄が2人、妹が1人。そして
長兄は野菜を食べない偏食家。40代で複数回心筋梗塞で入院、その後倒れて植物人間となってしまった。数年後他界。
次兄は公務員で本州を拠点にする。
妹は同じ市内で公務員。
母は父(私から見て祖父)と長兄が自分をかわいがってくれていた、との認識らしい。母の家族の中で母が親しいと思っていた人たちが先に他界してしまった。
母としては折り合いの悪い元家族たちに自分を認めてほしい欲求が有ったのだと思う。
では認めていないのか? というと母が卑屈に捉えたのではないか、と思わないでもない。
妹
母は色が黒く体が大きく勉強ができなかった。叔母は反対に色白で華奢で勉強ができたのだという。お前は器量が良くないから働くしかない、というようなことを年上の家族たちに言われながら育ったようだ。
なので妹へのコンプレックスが強い。が、姉として妹を心配したり構おうとするので、自ら妹に近づき、妹に塩対応されて自爆して嘆く、という行動パターンが昔から今までずっと続いている。
さて、当時はとても田舎なので、高校の選択肢がそんなにない。市内の公立高校、市外の私立商業高校(女子校)があり、賢い人は公立高校、頭の悪い人は私立高校、という価値観であった。母は働くからいいと思っていたが、時代の流れも有ってか私立高校へ行った。秀才と評され、当然公立高校へ行くだろうと目されていた叔母は受験当日緊張から失敗。結果、母と一緒の私立高校に行くことになったのだという。
コレ、母からしか聞いていない話だが、叔母にとってはかなり深刻なダメージになった挫折経験ではないかと思う。
母が言っていたのか叔母から聞いたか忘れたが勉強を頑張っても生徒会の役員しても何しても、高校で言われるのは「○○の妹か!」という言葉でつらかったという。
叔母が「私の友達を家に連れてきても、気がついたらお姉ちゃんとばっかり楽しそうに話してたんだよ」と苦笑しながら話してくれたことがある。
その時は一緒に母の悪口を面白おかしくいう感じで盛り上がってしまった。
母はなんというか、ちょっと目立つ感じの人で、良くも悪くもひっそり生きていけるタイプではなかった。
続く(と思う)