身内の恥をさらしても仕方ないのだけど、私主観で私のバックボーンを記録しておくことに意義があると思うのでお時間があれば付き合って欲しい。
父方の祖父母は割と裕福な家の人間だったのだと思う。明治生れの祖父は小学校をでて、戦争の影響で中高(に相当する)学校には行かずに早稲田大学を出たという。満州鉄道に勤め、引き揚げで長野に戻るも、次男のため居場所がなく、北海道に開拓に来たという。
大正生れの祖母は女学校を出ていたという。ボンボンとお嬢様な感じがする。
父は4人兄弟(兄、姉1、姉2)の末っ子で、他の兄弟は皆、北海道を出ていった。次男で苦労したであろうに、祖父は長男を贔屓した。話は前後するが、祖父が建てた家に父の部屋だけなかった(ので早く家を出たくて母をストーキングした)という。明治はそういう価値観だった、ということか。
父は姉たちには可愛がられており、頭が上がらないという。
伯母(姉2)はいつも派手目なお化粧をしていて、あまり会ったことがなかった。理由は知らないが祖父が「俺の子じゃない」といい、祖母がブチギレて結婚式の写真を庭で燃やしたという。
姉2は「このまま家にいられない」と、駆け落ちのような形で家を出て、勘当状態。その男の子供を産み、別のヒモのような男と暮らしているらしかった。
父はなぜか祖父母の隣に住み(まぁ多分金がなかったのだろう)、祖父母の介護を3児を抱えた母に丸投げ。祖父母が亡くなり、結構な額の遺産が動いたが、父は「親父の形見のカメラが貰えればそれでいいよ」と、かなり少ない、不平等な相続となったという。
母いわく、なのでなんともわからんが、嫁と子供使って親孝行が得意な男である。
「あの時、大金を得たら家族が壊れてしまっていたと思う」
と後に酔っ払って父が言っていたが、父と兄は全く口を利かないまま数十年同じ屋根の下におり、母が気を使って時間をずらして食事の準備をし、十分壊れてる現実を見て欲しいと思うw
話がそれた。
数年前、伯母(父の姉2)は生活保護を受給することとなった。なにがどうしたのかは知らない。そして腰を痛めて入院した。祖父母の葬式のときに一緒に来ていた穏やかそうな眼鏡のおじさんは、一度もお見舞いに来なかったという。
伯母の子(従兄弟)は姉と弟がいるのだが、姉はいくら言っても母が言うことを聞かない、と呆れて疎遠になってしまったらしい。弟はイラストレーターで、妻子を得ているが、奥様のほうがおそらく経済的にも精神的にも強いようで、伯母のお見舞いで私の両親と同席したときも、一番気を使うのは奥様のほうで、北海道から来て見舞っているウチの両親はどうでも良さそうな対応であった。
話がそれた。
で、その叔母がまた倒れてしまい、入院しているというので見舞いに行ったのだ。
おそらく退院しても、眼鏡のおじさんは介護してくれないだろう。確かマンションが上階で階段が上がれなくて困っているとか以前聞いた。伯母の行き場所があるのか不安で、それは己の将来の不安でもある。
深くは介入できない。そこまでの経済力も精神的余裕も私は持っていない。だから極力明るく振る舞ったが、そこには化粧っ気がなくなって疲れ果てた顔の伯母がいた。
それでも私を認識すると笑顔になってくれて
「〇〇(父の名)は元気なの?!」
とか細い声で聞いてくれた。
私と伯母はきっと合計しても1週間も一緒にいない。
でもかつて、父と伯母は、家族としての時間をたくさん過ごしてきたのだ。不思議。
70代後半の父は朝から母に甘え、母も長女なのでまんざらでもなく、ヨシヨシと構うと大喜びで
「この年で朝から爆笑して過ごせるようになると思わなかったなぁ~」
と言っているとかなんとか母が言っていた。
伯母は80代である種の戦いを強いられている。
祖父母の葬式で、場違だと冷遇されていた眼鏡のおじさんに、幼い私が懐いて、随分助かったのだと伯母が言っていたらしい(母談)。
切れて写真を燃やす祖母、家族に見切りをつけて北海道を断った伯母、それらの血も私を助けてくれていると思う。