どちらかといえば、「傷を気にしすぎると治らない」という格言のほうが真実に近いかもしれません。あなたの人生における苛立ちの原因のいくつかは、いつまでもこだわらずに無視したほうがはるかにいいことです。今はしばらく時間をおく必要があります。
無料占い – おうし座 – ジョナサン・ケイナー今日の予言 – Yahoo!占い
アラフィフバツイチ子なし独身女の日記
どちらかといえば、「傷を気にしすぎると治らない」という格言のほうが真実に近いかもしれません。あなたの人生における苛立ちの原因のいくつかは、いつまでもこだわらずに無視したほうがはるかにいいことです。今はしばらく時間をおく必要があります。
無料占い – おうし座 – ジョナサン・ケイナー今日の予言 – Yahoo!占い
反応があると喜ぶ(私が)
平均 0 / 5. 総数: 0
最初の一歩。ぽちっとな。
>どちらかといえば、「傷を気にしすぎると治らない」という格言のほうが真実に近いかもしれません。
フロイトですなあ。
>いつまでもこだわらずに無視したほうがはるかにいいことです。
「抑圧」ですなあ。
それでも回帰するのが「トラウマの回帰」ですなあ。
大野さんがキレた。
まあ結局は快楽原則を手放せなかったってことか。
>脂さんは私の発言についてelveさんのところで何度も何度も「わからない」と言い、「嫌悪感」があるとも書いた。
>態々反応する気もなかったので何を書かれても放置していたら、ここでまた蒸し返していろいろ書いたり聞いたりしている。
>
>そういう脂さんのふるまいは、私には理解できないだけでなく、強い嫌悪感と忌避感を覚える。
そらそうだ。あたしは快楽原則にしたがってないから。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-284.html
あと一応。
>そもそもラカンの排除、否認、抑圧は、3つの構造が相入れないということなんだから、中間とか境界例とかいうときは言わない方がいいんじゃないの、
相容れないのは排除(精神病)と抑圧(神経症)であり、否認と抑圧、否認と排除は並立しうる。つか否認ってのはアクティングアウトなんだから。
境界例ってのは精神病と神経症の境界って意味だ。それは確かにラカン派は認めていない。
しかしわたしは藤田博史から境界例だと診断されたがなwww
それにあたしどっちかてとクラインより(「人間誰しも多かれ少なかれ精神病な部分がある」)だし、出鱈目ではないけどなあ。
>境界例ってのは精神病と神経症の境界って意味だ。それは確かにラカン派は認めていない。
>しかしわたしは藤田博史から境界例だと診断されたがなwww
そういう意味では小笠原晋也くんはなまわくのラカン派だった、ということだな。
http://psychodoc.eek.jp/abare/diary0212a.html
=====
どうも、小笠原医師には「人格障害など存在しない」という確固たる信念があったようです。ラカン派ってのはそういう立場なのかな?
=====
と風野は書いているが、人格障害を認めないのではなく、精神病と神経症の境界例を認めない、ということ。
「わからない」「嫌悪感がある」は拒否ではないんだがな。
「わからない」「嫌悪感がある」からこそ知ろうとする、っておかしいかね。
まあ知ろうとする気力がないときもあるがな。
蝸牛さんはそのアドバイス藤田博史にしておいで。
コピペ保存なあ。こことかぐらいかな、わたしにとって重要なのは。
脂 2011/07/01 14:53
>「まっくら森」にむかって銃をぶっぱなすような真似したら、
むしろ「森」の周りをぐるぐる回りながら「森の中はどうだこうだ」とわめいている、って感じかな。
この記事なら「自分の生を生きているという充実感に包まれている。」とか。
まあさまざまな脳内大野さんを推測したが、「レイプファンタジー」にまつわる件は結局わからずじまいなので、コピペ保存する必要性が感じられない。
上野千鶴子が精神分析学んでたら大野さんみたいになってたかもな、とふと思った。
>>そもそもラカンの排除、否認、抑圧は、3つの構造が相入れないということなんだから、中間とか境界例とかいうときは言わない方がいいんじゃないの、
>
>相容れないのは排除(精神病)と抑圧(神経症)であり、否認と抑圧、否認と排除は並立しうる。つか否認ってのはアクティングアウトなんだから。
>境界例ってのは精神病と神経症の境界って意味だ。それは確かにラカン派は認めていない。
>しかしわたしは藤田博史から境界例だと診断されたがなwww
>それにあたしどっちかてとクラインより(「人間誰しも多かれ少なかれ精神病な部分がある」)だし、出鱈目ではないけどなあ。
別にわたしはクラインよりな部分もあるからどっちでもいいんだが、一応そのコメント欄で言っていたのは「大野さんは神経症と倒錯の中間かもなあ」ということであり、別に「境界例を認めない」ラカン派にも矛盾しない。
一応全部コピっとくか。防衛のため。いえ被害妄想ですが。
享楽とは矛盾であり不完全性なわけだが。
ヒステリーは矛盾に安寧し強迫症は不完全性に安寧する、ということか。
大野さんは「したくないセックスはしたことがない」ということと「レイプファンタジー」という矛盾に安寧する。
ラクさんは「人の心なんて完全にわかるわけがない」という不完全性に安寧する。
最初からどちらもあるのがわたしなんだがな。矛盾も不完全性も。
精神病とは神経症のデパートである、ってか。
歴史的に名づけられてこなかったものを語るというのはほんとに難しいのう。
>それにあたしどっちかてとクラインより(「人間誰しも多かれ少なかれ精神病な部分がある」)だし、
一応これの証拠な。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-254.html
=====
ここで、はめられたように、誘導尋問のように、ラカン論が立ち現れる。
ラカン論は、精神病と神経症の間に、「父の名の排除」という断絶を設定している。ここがクライン論と違うところだ。だからラカン派はボーダーを認めたがらない。
とはいえ、わたしはクライン論や(フロイト派だが明らかにクライン論の影響が強い)クリステヴァ論に依拠する立場も取っている。つまり、狂気と正常の間に、断絶即ち欠如を敷いてない論の立場を取っている。それは、彼女らの言説には、この断絶における苦痛が描かれているからだ。理屈ではなく文芸的な読みとして。その断絶を、不快なものやおぞましいものや悪意的なものとして描いている故、この断絶を描く=存在させる=断絶を無き物にする彼女たちの文章に、現実感を感じる。現実感という意味では、ラカン論は乏しい。それをわたしは「ラカンは冷たい」と表現する。一方ガタリは、この断絶の苦痛すらオイディプスのせいにする。彼らにとっては、分裂症者が訴える苦痛と中二病者が訴える苦痛は同じものなのだ。狂人を正常人の範疇に飲み込もうとしている。帝国主義者が未開文明を植民地化するように。これは、わたしの臨床によれば、定型発達という精神障害に顕著な症状である。よってわたしはガタリの症状を、定型発達と診断している。
要するに、「器官なき身体」も「身体なき器官」も、机上の空論でしかない、という立場を取っているわけだ。人間という主体には全て狂人も正常人も住んでおり、純粋な狂人も純粋な正常人も、存在しない。いくら狂人があるいは正常人が跳躍しても、断絶の向こう側には到達できない。断絶に飲み込まれるだけ。ラカン論ならば、「現実界は到達不可能なものである」ということであり、現実界という机上の空論的概念を設置することで、この断絶は欠如から享楽と読み替えられる。
ラカンでもクラインでもクリステヴァではないわたしは、これを「破壊と構築との、あるいは狂人部分と正常人部分との、妥協ではなくせめぎ合いが、享楽である」と表現したりする。
このせめぎ合いは、当然苦痛なものである。ここから再掲する。
=====
過去だか未来だか知らないが、ただの幻想で加工された苦痛をもってして、他人のその瞬間の苦痛を隠蔽抑圧することこそが、もっとも倫理に反することである。これはわたしの倫理である。初心忘るべからずである。
=====
幻想で加工されるくらいなら、冷たく「存在しない」と言われる方が、マシだ。
正常人たちは、わたし(の狂人部分)を殺している。殺しているのだから、「死ね」と言っている方が、信用できる。
ファルス的享楽の自覚、とでも言おうか。
クラインやクリステヴァは、他者の享楽の自覚と言ってもいいかもしれない。
享楽とは、心中のようなものである。ラカンは殺している。クラインやクリステヴァは殺されている。心中の瞬間が、到達不可能な現実界に触れる瞬間である。
=====
わたしにしてみれば大野さんち書き込んだ当初からやってることは変わらないんだけどな。
大野さんが勝手にわたしに転移して(自分で言っていた)、勝手にキレた、と。
>elveさんのところでの私の発言「したくないセックスはしたことがない」については、「する気が起きなかったり苦痛だと感じる時は、極力しないで済ませてきた」(特に結婚後)という意味だと既に説明している。
そういう意味でもわたしの「脳内大野さん」の理論化において矛盾しないんだけどなあ。
これも「矛盾しているか」とかそういうのじゃない「言説効果」として言っているのかね。
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20110513/1305293707#c1305371586
>幻想で加工されるくらいなら、冷たく「存在しない」と言われる方が、マシだ。
おまきんさんも似たようなこと言ってるんじゃないかね。「俺の脳内には「まっくら森」なんて存在しない」と言ってくれた方がマシ≒「最初から僕をアク禁すればいい」、と。
トラウマのない「心」なんて存在しないんだがな。
「心の定立」自体がトラウマなんだから。
まっくら森はー 心のめいーろー♪
>わたしにしてみれば大野さんち書き込んだ当初からやってることは変わらないんだけどな。
1月の時点で宣言してるな。
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20110102/1293978579#c1294046642
ネットぐらいアジールでいさせろよ、って言うとファルス享楽になるがなw
まんまーるーくーなるよー
ほーら ポンっ
ポポポポンっ
メソメーソーしないよー
もひとーつ ポンっ
(私の紙風船より)
紙風船と言うと村下の『少女』が先に浮かぶなあ。
潰れる紙風船。
遠くへ飛ばそうと紙風船
叩いたら割れました
マッチの替え歌(嘉門だっけか)で
海辺にバイクを止めたら錆びる
ってのと似たニュアンスだな。
油さん,elveさん,おまきんさん,大野さん,蝸牛さん,その他(!)…
これ,行かないかい?
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/events/2011/07/utcp_lecture_takashi_nibuya_li/
ほら,大岡昇平は私は未読(…)なんだが,精神分析(フロイト)に明るい作家さんだったらしく
にぶやんは3月,4月あたりにクリステヴァ『外人』を読み込んでいたようだし
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1980/8800kj.htm
うん…
>遠くへ飛ばそうと紙風船
>叩いたら割れました
ある意味フォルト・ダーだがある意味フォルト・ダーへの反駁な気がする。
にぶちんは抑鬱症の印象だからあんまり興味惹かれないなあ。
×油
○脂
海辺は流木の白木がきれいで,この前拾った
肌色の塗料の残る,白木
にぶちん言うな…朕ならいいが,チン,っぽいので
にぶやん,にぶにゃん,
抑鬱ひかれない把握。自称,黒犬ではあった,にぶやん。
そうね,殺してくれはしないものね,心中もしてくれそうにないものね
いや,私の中では彼の書き物がソレに当たる行為として読むんだが,まあよいよい
まあ抑鬱は「意味の死」だしな。
フォルト・ダー遊びも「「ある」という意味/「ない」という意味」だが、割れた紙風船も錆びたバイクもそこにある。
そこに「ない」のは「ある意味」だ。
糸車を放り投げても床がそこにある。カーペットの毛足やゴミがあろう。
イリヤ(レヴィナスの?),或るの中に或る,不眠の中に,織る,しかも消えながら,腐することの豊饒さより遠くへ,内で,
わたしは寝た方がいいけどな。
うん,ここ数日フル稼働である,脂さん,で,は,あった
デパスじゃ眠れなくなりました。
意外とバファリンの方が眠れるってわけではないが効いてる感じがする今日この頃である。
>>
つまりそれは,すでに実存する存在が,その実存を延命するためにする闘いであって,いっさいの保存の技術とは無関係に実存がみずからの実存を掴み取るはっきり別の作用として理解された永続的な<誕生>ではない。それゆえ,この操作の真性を検証するために,反省から生じる姿勢,つまりすでにできあがっている実存が自分自身をのぞきこむような,実存に対するいっさいの姿勢はわきに置いておかねばならない。「生の意味」をめぐる省察に含まれるような姿勢,ペシミズムあるいはオプティミズム,自殺あるいは生への愛などは,存在が実存へと生まれ出る作用にいかに深く結びついていようとも,すでにこの誕生の彼方に位置しているのだ。
(レヴィナス『実存者から実存者へ』より)
<<
ふ,と,い,き,が,も,れ,こ,お,つ,て,あ,ら,
その文章は粒子性かつ波動性の波動性を認めない言い方な気がするなあ。
「誕生」を規定してるからか。
人間は身体的に未成熟なまま性的に成熟した猿である。
それだけのことであり、生命の「誕生」論と物理学は別物だと思われ。
「ペシミズムあるいはオプティミズム,自殺あるいは生への愛」も物理学的な複雑系的な一つの現象。
デパス,バファリン,エビリファイ,ドグマチール,
亜硫酸石灰,抱き枕,ウサギ,猫,羊,猫(寝る猫),鳥,ドグマチール
時間,夜,夜の誕生,地球との婚姻
タイポロジカル,レタスの水色へ,キャベツの紺へ
麻,木綿,埃,ゆかり,井筒,道,皿,砂,新聞紙,みのもんた,
あら,あら,あら,ブロックのイズのきれいな水玉,きくらげ,酢,良い子,お,お,血,
古い,時計,バロック,実験,分離派,若さ,猫に関心をもたれない,
ウサギ,耳,耳,バツの口,もぐもぐ,猫背ではない,ピンクのケロケロケロっピのような皺の少ない耳
アパート,おはよう,おやすみなさいの前にこんにちは,ええ,ええ,絵が,映画,靴音,静かな,波のような,ノック,ああ,ああ,眠る,落ちない,中空が,中空で,飛ぶ
まう,ほこり,わたしの,ある,ない,意味
身体的に未成熟なまま性的に成熟する動物だからこそ言語的コミュニケーションが発達した、ってことだが、だからこそ「ペシミズムあるいはオプティミズム,自殺あるいは生への愛」という言語的コミュニケーションの現象にすぎないそれを、物理学的な複雑系的な一つの現象として見れない、ということだな。
>いっさいの保存の技術とは無関係に実存がみずからの実存を掴み取るはっきり別の作用として理解された永続的な<誕生>ではない。
ここは「(伝統的な哲学が語ってきた)コギトのような確実性の基盤となる主体」の「誕生」の否定であり、精神分析理論と同調するが、その次の「誕生」がよくわからない。
まあ引用された文章だけだしな。レヴィナス知らない。
>その次の「誕生」がよくわからない。
それ以外は「ああ、ああ」って感じ。
あ、「(伝統的な哲学が語ってきた)コギトのような確実性の基盤となる主体」の「誕生」でも意味通じるのか。そう考えると「ああうん」となる。
あれか,鈴木創士さんの真似して,ディラックの海,を,かいた人を,読めというのか,読めたら,読みたいが
(ねたはず,脂さん,が)
レヴィナスいまよんでるから,しらんぞ,こちらも
elveさんのここを,メモとして,使おうかしらん,んんn
>>
観照は与えられたものとしての対象に向けられる。そのことからして観照は「純粋観照」以上のものであり,すでに行動の要件なのだ。行動,というのは比喩として言うのではなく,志向すなわち欲望は,つかみ取る,自分のものとする運動だからである。しかしこの場合,つかみ取るのはあらかじめ与えられたものである。観照されるものの形にはまったく無縁なままにとどまる観照という概念を,私たちは与えられたものへと向かう志向の概念にとって換える。
(レヴィナス,西谷修訳。「光」「世界2」『実存から実存者へ』p70)
<<
>>
見つめるとは,いくつもの曲線を描き出す能力,諸要素が互いに集まってまとまる集合や,個別的なものがその性格を捨てながら現れる地平を描き出す能力なのだ
(同上p89「異郷性」より)
<<
>>
光を絶対的に排除した状況にも経験という言葉が使えるとすれば,夜こそ<ある>の経験だということができるだろう。(p93「実存者なき実存」)
<<
>>
この現前は,弁証法的に不在の対をなすものではなく,思考によって捉えられるものではない。それはいかに無媒介にそこにある。言説はない。私たちに答えるものは何もないが,この沈黙,この沈黙の声が聞こえ,パスカルの語る「この無限の空間の沈黙」のように私たちを脅かす。<ある>一般,何があるのかはどうでもよい。雨が降る(il pleut)とか暑い(il fait chaud)というのと同じように非人称の<ある(il y a)>というこの表現に,実詞を結びつけることはできない。<ある>は本質的な無名性だ。精神はこのとき,把握された外部に向かっているのではない。外部ーーーこの表現にこだわるなら,ーーー内部とは何の連関もないままにある。それはもはや与えられたものではない。もはや世界ではない。(p93ー94,同上)
<<
(げんしょーがくようごは否定性が大きくて読んでるとグラグラくるが,まあ。)
>>
ただのノンでよかったのになぁー
ウサギが生きることにノンを言い出したので
無理矢理飯を食わせて傷だらけwww
肝臓やられてるかもなぁ
> elveさんのここを,メモとして,使おうかしらん,んんn
そんなお客さんばっかりですwww
>>
恐怖は言ってみれば,意識からその「主体性」そのものを剥奪する運動なのである。それも,無意識の内に意識を鎮めることによってではなく,意識を非人称の<目覚め>のうちに,レヴィ=ブリュールの言う<融即>のうちに,突き落とすことによって。(p98)
<<
>>
恐怖は<ある>への融即である。まったき否定性のさなかに回帰する<ある>,「出口なき」<ある>への融即である。<ある>は,いってみれば,死の不可能性,実存の消滅のさなかにまでゆきわたる実存の普遍性なのだ。(p98)
<<
ウサギ,の,うしろにまわり,はねる,あの,綿毛の団子の二角獣の戦車のようななりそこねた蝶のような這う這うを,見たきがする。綱島あたりの,広い地主の家に,いたようなきがする。
切ないな
wwwの弱い笑い(けど吉井和哉の息の抜けて喉からでるあの悲しい愛想笑いよりは,いくぶんかやさしいので,アンチスペックさんにも,elveねえさんは,欲情バリバリできる,それは,エロ偉い,と,見えるこちらは。)
>>
「それでおしまいだ」はありえない。恐怖は危険から生まれるのではない。「人間のすることなら,何でもしてみせるぞ,たとえどのような姿で現れようと,おおさ,毛むくじゃらのロシアの熊,……でも何でも,このたくましい筋肉,びくりとでもするものか……。行ってしまえ。」……。マクベスをおののかせるのは,存在の影,すなわち,無のなかにくっきりと浮かび上がる存在なのだ。(p100)
<<
andrew bird「a take away show」「lulu」「anonanimal」で検索ぜひ。(笑)
>>
存在の恐怖は無の不安に対立する。存在するのが怖いのであって,存在にとって怖いのではない。(p100)
<<
>>
恐怖は永続的な現実への,「出口なし」の実存への,断罪を執行する。「天も,宇宙全体も,わたしたちの先祖にみちみちている。/どこに身を隠そう?地獄の闇に逃れようか。/いえ,なにを愚かな。あそこでは父上が裁きの壺をささげている。」フェードルは,死が不可能なことを悟り,充満した宇宙の中にある自分の存在の永遠の責任を見出す。この宇宙に抜きさしならず巻き込まれているフェードルの実存には,もはや私的なものは何ひとつ残されていない。(p100ー101)
<<
> アンチスペック
wwww イイ名前だwww
大野さんへ
実名ではしんどかったと思います。
コメント欄が毎度毎度レイプだセックスだラカンだってwww
お疲れ様です。また機会があれば遊んでくださいね。
> 海辺にバイクを止めたら錆びる
何となく思った。
盗まないので走り出せない。尾崎豊的に
>実名ではしんどかったと思います。
えーそこだったのかー。
ちげーかなぁ?
さあ、今はもう聞けないからなあ。
きょうはすずしい
自分がつまんないと思ったコメントを無視する→つまんないコメントが残る
これが不快なのはそのブログと自分の名前が結びついてるからだと思った
何かもっと難しいソレっぽいこと言えるのかも知れないけど
ウンコ触ったらウンコついちゃうから触らないようにしてるのに
自分ちの前にウンコある感じ。
「ウンコを放置する」も「ウンコを排除する」も
そのときの気分でいいとは思うんだけどwww
ちらちらレヴィナスの文章読んだけど神秘家っぽいな。
ι(´Д`υ)アツィー
ウサギが飯くわんのだが、病院に連れて行くストレス考えると
うちで無理矢理食わせる方がマシかってくらい暑いwww
>これが不快なのはそのブログと自分の名前が結びついてるからだと思った
名前とか関係ないんじゃね。
わたしはなんでコメント欄閉じたんだっけか。藤田博史騒動のときだっけか。
三人がかりできたんだぜー、素人の女相手に。
>「傷を気にしすぎると治らない」という格言
『瘡蓋を気にして、触ってたら血が出てきた』って事態を連想した……。
あと、猫なんか傷が出来るとその箇所を執拗になめ続ける奴が居るのだが、舐めればなめるほど傷の周辺の毛とか抜けて治りが遅くなるんだよな。毛とかへばりついてて、私からしたらばっちく見える状態の方が、表面が乾いている状態の方がだいたい順当に治る。
今目が見えなくて(見えづらい)あんまりぐぐる気がでないが
暇になったらよんでみよっ
あー脂さん! 明日暇ならクラシックでも聴きに行かない?
小田原だけど!!(笑)
ちょびさんにいきなり馴れ馴れしく接した自分に違和感があったのだが
いつも通りかwww
たぶん昔パソコン通信で世話になった人のハンドルが「ちょび」だったから
なんか懐かしくなったんだと自分では思っているんだけどwww
ちょびさんうちの読者、たぶん。
クラシックCDはいいけどコンサートだといたたまれないw
>>
闇は,たとえ何もないとしても作用するだろう実存の働きそのものなのだ。私たちが<ある>という用語を導入したのは,まさしくこの逆説的な状況を説明するためである。密度を付された,あるいは実存の息づかいによって捉えられた,あるいは力の場に置かれた,対象とは同一化されないこの存在ー密度,気配,場に,私たちは重ねて注意を喚起したいと思う。空虚そのもの,あらゆる存在の空虚の,あるいは空虚の空虚のーーーこうして否定の乗数をいくら高めても残存する,空虚の実質的密度に。否定は,諸々の対象の構造と組成としての存在には及ばないのだ。私たちが想定した極限状況の中でみずからを表明しそこを領するもの,そして夜と悲劇のなかで私たちが接近するものは,非人称の場としての存在,所有者も主人ももたない場であり,そこでは,否定も無化も無も,肯定や創造や生存と同じように出来事,ただし非人称の出来事なのである。不在の現前としての<ある>は矛盾を超え出ている。<ある>はその反対物をも包摂し支配する。この意味で存在には出口がないのだ。(p102ー103)
<<
(よし,中断だ)(あと半分読むだと?いや中断だ)(現象学といえば日本では西山雄二さんに期待すべきなのだろうか,無学ゆえわからない。)(レヴィナスのここからの記述は,実詞化,イポスターズ?などで検索すると概要は出てくると思う。)(洗濯,飯)(お邪魔した>elveさんその他諸相)
>舐めればなめるほど傷の周辺の毛とか抜けて治りが遅くなるんだよな。
うちの犬も内臓が腐る病気で腹をなめまくって内臓がぽろりしてたな。包帯しても取っちゃうからガムテでしばったり。
あれとか自殺だよなあ。
今のうちに洗濯しないとな
今日はないたーげーむだ>味スタ
> あれとか自殺だよなあ。
飼い主のエゴでこの世にとどめてる感じだよね。
まぁしゃーねーわ。見殺しにするのも気分が悪いw
レヴィナスって内田樹が好きな奴か。
>まぁしゃーねーわ。見殺しにするのも気分が悪いw
気分が悪いっつうかそこが痛い。
佐藤彦大がでるのよー>小田原
(゜д゜) <ラフマニノフー←分かってないwww
ウサギは目の後ろに膿がたまっちゃって
目が飛び出てきてて、痛みで死んじゃうかもとか
さらりと怖いことを医者に言われたので
アレコレしてたらハンストされている、なう
あーだから私も目が見えにくいのか、最近
>たぶん昔パソコン通信で世話になった人のハンドルが「ちょび」だったから
>なんか懐かしくなったんだと自分では思っているんだけどwww
懐かしさか、そうかあ。
私はelveさんの多動っぽいとこにそれを感じたりするなあ、母親がそんな感じだから。なんか知らんけど、この雰囲気を持ってる人は妙な負けず嫌いを発揮すること多々だと思う、女性に限るけど。
ちなみに超絶美女ってHN使ってたら、相手に略されて『ちょび』になりそれからちょびになった。超絶美女ってHNもぱんちらって名前でブラゲ(?)してたら、相手に言われてそれにした。
女かー!! ミソジニー発動準備www
> この雰囲気を持ってる人は妙な負けず嫌い
(ノД`)シクシク<普通の負けず嫌いがいいです
自分より「すべての人に優しい(「好かれる」とは違う)人」に負けず嫌い発動したりとかかかか。
>ちょびさんうちの読者、たぶん。
うん。
ただ、最近はジャーコン(?)だか精神分析の用語を自分の勝手な印象で読み解いてしまうことに気づき、あまり読まなくなった。
新領域創成科学だか、相関科学だかをチョロっと話した時に私が「心理学と生物学を合体させれば良いじゃんね」的なことを言い、相関てのは量子力学なんだぞてなことを脂さんが返して、それからだなあ。
だから知らない言葉が多量に出てくる精神分析は、まず、それらに使われている用語を自分の勝手なイメージではなく製作者(学問?)が作ったイメージに近い状態でイメージ出来るようにならなきゃなって思っている。
しかしイメージは言葉で十全に説明できない。
災害の被災地とかどんなに言葉を尽くしても画像の方が情報量あるしのう。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-736.html#comment3567
か。
> 自分より「すべての人に優しい(「好かれる」とは違う)人」に負けず嫌い発動したりとかかかか。
何となくクサバヤシさんを思ったけど
負けず嫌いな訳ではないよあな
関係ないけど負けず嫌いの「ず」がちょっと違和感あるよね
>女かー!! ミソジニー発動準備www
女ではない、男だ。
ただ(社会的に)男である瞬間が少ないとは思うけど。ヤンキー系の男子とかは瞬間っつか、男である状態が継続されていて、それでなんか上手くいってんので不思議なんだよな。製品を作る技術とかではなく、男としての振る舞いがあることで、なんか『得してんなあー』って印象を受ける。
ニュアンスでイイじゃんか。
定義なんてしたってその定義もイメージだしー
> 男としての振る舞いがあることで、なんか『得してんなあー』って印象を受ける。
それは女にも思うけどなw
ここでelveさんにおまきんさんとちょびさんの比較論を述べてもらってみよう。
>ニュアンスでイイじゃんか。
>定義なんてしたってその定義もイメージだしー
だから妄想が暴走するんだぞw
おまきんさんは本当に最初の「私この人駄目」って強かったなぁ
何だったんだろうね? 相性? 最近ちょっとマシになったと思う。
脳内おまきんさんは私に欲情している。やめて、レイプしないでって感じ
ちょびさんは知り合いの弱気なメガネヲタク男子を思い出したw
ハスキー犬でも可
まあ実名で精神分析過程は踏めないよなあ、とは思った。
エスとは名無しだから。
> だから妄想が暴走するんだぞw
バイク盗めないので妄想でくらい暴走したいわけです。
被愛妄想がっつりだなw
所有されたいけど暴走したい、か。
妄想だって分かってきたからだいぶ平気になってきたんだと思うけどねぇ
をほほほ 暴走する私を捕まえてご覧なさい(砂浜イメージ)
ライ麦畑で咳をしても一人
>しかしイメージは言葉で十全に説明できない。
>災害の被災地とかどんなに言葉を尽くしても画像の方が情報量あるしのう。
うん。でも『新領域』って記号に対して『相関と言うイメージ』ではなく『ちゃんぽんというイメージ』を当て嵌めたり、ヒステリーやアスペがただの罵倒の言葉のイメージになってるのは危ないな、と、思って。(ヒス起こしたww とか アスペ来た(笑)みたいな用法で使われる時のイメージ…こういう学問と世間での用法が乖離してんのを解釈すんのは辛い)入門書とか読んでみたいんだよなあ、図書カードあるし、3000円の。
ラカンとクライン対比させた場合の精神分析だとelveさんがもっとも精神病に親近してるってことになりそうだ。
>こういう学問と世間での用法が乖離してんのを解釈すんのは辛い
逆に世間での用法で世間とイメージがあわない人には、まあ学問だから概念の定義はどっかでされてるもんなので、いいと思うけどな。
脳内エクセルオーバーヒートするが。
エクセルのアクセル全開
・・・マクロが暴走するイメージっすねw
>をほほほ 暴走する私を捕まえてご覧なさい(砂浜イメージ)
砂浜を錆びたバイクで走ってるわけだな。
> 砂浜を錆びたバイクで走ってるわけだな。
走るわけないじゃん!
うん、妄想だから♪
ばーいせこー ばーいせこー♪
組んでも組んでも新しい条件が付加されてくマクロ。
そんなら最初からお手本があった方がええやん。
それが精神分析だな、わたしにとって。
>ちょびさんは知り合いの弱気なメガネヲタク男子を思い出したw
まじか。
>ハスキー犬でも可
こっちは、やっぱ犬だと思われるのかよって思った;
エサ食ってくる。では、また。
もうそんな時間か(;´Д`)
妄想な時間か(通常営業
レヴィナスちらちら読んでいるが、レヴィナスの「他者」とラカンの「他者」は別物そうだな。大文字の他者や小文字の他者ではなく、むしろ「他者の享楽」「女は存在しない」の「他者」だろう。
ビオン論ならすっきり「思考する者なき思考」という「他者」。ゼロの思考。とはいえ他に影響をあたえるので、無限小の思考と言っていいか。
「思考する者」がやってきてそれに思考される(名づけられる、同一性があたえられる)ことで「(伝統的な哲学が語ってきた)コギトのような確実性の基盤となる主体」が生じる。
木村敏論の「他者」の方が近いだろうな、ってまあ木村も現象学だし。
おいレヴィナス厨読んでやったぞ。
>レヴィナスちらちら読んでいるが、
あ、ネット上にある奴な。買うのも借りるのもめんどうです。
でもそれを「他者」って言っちゃうとビオン論にあてはまらないのだよな。
それは「他者」ではない。「思考する者なき思考」はいわば「思考する物」だ。
木村などはこの「他者」を「絶対的未知性」などと言っているが、それを「他者」とした時点でキリスト教に負ける。
物質の擬人化。
それを現実界と言って別に「父の名」を設定したラカンはすげーやり手。
http://polylogos.org/philosophers/levinas/levi8.html
=====
このことは、すべてのものを存在論の光学から判断しようとする西洋の哲学の欠陥ではないかとレヴィナスは考える。存在と存在者のカテゴリーから外れる場所、いわば〈非−場〉を問題としなければならないのである。これは、視ることをモデルとしてきた西洋の哲学にとっては、大きなパラドックスを生む。しかし伝統的な西洋の哲学の思考の限界を超えたものを、思考することこそが必要なのである。
これは思考にとってはある意味では不可能な問い、非知の知の試みである。ここでレヴィナスは、バタイユと出会う。バタイユが問題としたのは、涙、笑い、性的な体験、宗教体験など、存在論の領域からはみだす体験において、存在論と哲学的な思考の枠組みから逸脱した思考の可能性を追求することであった。この問題をレヴィナスは、神の思考の可能性において追求するのである。
=====
普通に神秘家だった。
新ピカー!! と連想してから脳内で
「わたし、中古」という携帯小説が絶賛連載中(;´Д`)
レヴィナスの文章って誇張表現多いな。ラカンは誇張表現=印象操作=イメージ主体の思考になるから、分析家を育てる彼のゼミでは、印象操作となるような、イメージ主体の言葉を拝した。だから読解が困難だ。
一方レヴィナスは、まあ印象操作のつもりはないのだろうが、印象論が多いのだよね。まあ神秘家ってそういうものだけど。
イメージ主体でも読解が困難なのは神秘家の特徴でもある。
ラカン派がケンカすべきはクライン派ではなく神秘主義じゃねえの。
わたしは神秘主義を一部擁護する立場だが。
中古品より世に出回らなかった不良品の方を考えるのが楽しい。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-236.html
脂さん
http://d.hatena.ne.jp/AntiSeptic/20101220/p1
を読み返すと味わい深いっすよ
仕事のこと思い出してイライラしてきたwww
ほー。
=====
しかし同時に「女はみな売春婦である」という言葉にも、悲しいが深く同意する。実際に売春している女性のようなリスクを払ってはいないのに。私は分裂している。分裂しながら「なぜ売春婦差別をするのか」について考えてみる。
=====
「分裂」というか「矛盾」することがヒステリーには安寧になるのよね。
https://elve.hatenadiary.jp/entry/20110630/1309444978#c1309549711
だから大野さんは「分裂」していなくてはならない。「したくはないセックスはしたことがない」のに「レイプファンタジー」を語らなければならない。彼女にそってそれは安寧だ。「
一方強迫症者にとってこの「矛盾」は不愉快なものとなるだろう。彼らは享楽の「不完全性」に安寧するのだから。
大野さんはだから強迫症者からも批判される。
「矛盾」も「不完全性」もあるのが精神病者。
どちらかに安寧するということはできない。
「矛盾」も「不完全性」もいわば「父が私を殴る」という幻想であり、自我が安寧する殴られ方が違うだけ、と。
内田樹さんの引くレヴィナスは駄目じゃないかと思って5年くらいたつる日記も読んでいない。
こちら文におけるパッションに主眼を置いてるゆえ,レヴィナスを安置所におかして読んでるようなところのあった似非貴族風の樹さんは好きではないのだった。
レヴィナスはバタイユ(バタイユ知らん)というより,普通にブランショ(望みのときに!)だのリオタール(インファンス読解!)よりで,ユダヤの系譜は別に神秘主義ではないというか,単に無限遠点から出発しているというか
テキストクリティークに徹するという倫理それ自体が,一種の人文盲科学科を生んでいる状況はものすごいあると思うので,まあ,何とかしてください。形而上学や現象学や精神分析は肥大する直観によってしか支えられないものであると思うので。肥大しなきゃはじけない。肥大って自我レベルではないよ,バタイユの非知でももちろんなく,或る(イリヤ)の微小な粒を放射されていることを感じるということだよだよ。
哲学史というオイディプスはうんざりで(なぜバタイユが出てくるんだろうか,まったく勃起できない図書館の不能なインポテンツがなぜレヴィナスと関連付けられるのか…),クラインはそのうち読むだろうがラカンは絶対に読まん!まんまん。
うーん。こういう私みたいあのをジャーゴンっていうんだろうが,ジャーゴン(通り名)でない説明をしようと噛み砕けるだけの教養はない。たぶん印象操作で十分だった。
テキトーなこと言ってしまった消したい。私を斬れ斬れ(elve方式)
分裂してサラウンド効果っすねwww
>テキストクリティークに徹するという倫理それ自体が,一種の人文盲科学科を生んでいる状況はものすごいあると思うので,まあ,何とかしてください。
それは精神分析では無理だなあ。「シニフィアンの連鎖を解釈する」のが精神分析だし。
だけど「テクストクリティーク」が非テクスト的な「その人の心」ってところまで侵食してはいるが。
>肥大する直観によってしか支えられないものであると思うので。
それだとたぶん「愛」にいきつくと思うよ。クリステヴァ曰く「はじめに愛があった」。
>或る(イリヤ)の微小な粒を放射されていることを感じるということだよだよ。
これはいい言い方。エスってわたしは言っちゃうけど。
>クラインはそのうち読むだろうがラカンは絶対に読まん!まんまん。
その方がいいだろうな。
オイディプスからの脱出ではなくそれを抑圧してるだけにもなりかねないが。
ありゃ,丸く収められてしまった。あんがちょー。
母の,たしかにひく,引き金,銃口,が,欲しいな(elveさん的なやつ)。
侵食されて,大事なものを汚されたそれを返せというヒステリー起こすくらいなら,そんな大事な心ははじめからテクストの構造に記入しておくべきものではなかったんじゃないのだろうか
>ははじめからテクストの構造に記入しておくべきものではなかったんじゃないのだろうか
みんなそうしてるよ。抑圧してる。
だけど言い間違いや夢や冗談という「構造のゆるみ」から「大事なもの」を読み解こうといういやらしい学問なわけですよ。精神分析ってのは。
> 欲しいな(elveさん的なやつ)。
膣口?
とりあえず、消して欲しいコメントはないのだな?(笑)
ゆるみ…
しっかりしなくちゃ,えどんなこと,ほら,しょうが焼きにキムチ入れるとか
だっけか,そういうのをズレのまんま楽しめたらーーーとかいうと抑鬱になるのか。会話の奇跡は奇跡としてあられ,うん
膣口,生理,の重々しさを,おくれ。(消すコメントなしです。言い間違いとゆるみ万歳です)
>膣口,生理,の重々しさを,おくれ。
わたしのやりたいわ。
あ、個人輸入代行使ってピル買ってみたw
手術費用は折半で
アマゾンで割礼
80%オフ
重々しいというか禍々しい
膣と生理が来るって想ったらドキドキしてきた
前世は村3番目のビッチだったんだ!
抑鬱生者(自己判断)のギャグは笑えないのであった
底に超越的欲求とニヒリズムがないまぜになってるようだ
というわけで,同性愛的女好きとして,セミ探しに行こうと思う
抑鬱なのかね。
セミはわずかな音だけだった。
変な写真を撮ってしまった。http://d.hatena.ne.jp/saikokishidannn/
抑鬱なんだろう。
たぶん何かしらを発症していたころの,わたし,が,コレなんだが…なんか見えるだろうか。
左から順に,私,母親,母親の兄(去年?他界)なのだが…
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7276073
主役が,来たみたいなので,自分のブログに帰ろう。分析するときは記事をたちあげて罵ってもらえると助かります。お邪魔ンモスした。