No.0479
2014年7月19日
借金
というものを、クレジットカード決済以外ではしたことないし、クレジットカードの支払いが滞ったことは一度もない。
10才くらい年の離れた同僚(以下こむすめ)は大量にリスカアムカ痕のあるぽっちゃりしゃくれなのだが、車やバイクやその免許取得が全部ローンらしい。んで、大変だから夜コンビニバイトでしてるんだと。
自傷とローンとか関係あるのかもな、とか。
さて、こむすめが「もう消すことできないし」といっていたリスカアムカ痕なのだが
ダーマスタンプ(小)と麻酔クリームのセット (3.0mm)
でざくざくと刺しまくり、胎盤由来の成長因子入りのなんか高いクリームつけまくり
BAND-AID(バンドエイド) キズパワーパッド ジャンボサイズ 3枚 絆創膏貼って〜の繰り返せば薄くなるんじゃないかと思った。
胎盤由来ってのが馬とか多いのかな。
怖いので自家製で行くなら経血でもいけるのか!?とか
[asin:B000FAG6XA:title]あたりで溜めて・・・とか
ちょっと思ったけどなんか血なまぐさい感じになるので
(針で刺してるあたりで既に血なまぐさいが)
この辺で思いつきメモ終了
是非フォローしてください
最新の情報をお伝えします
> 怖いので自家製で
自家製の方が怖かったw
まあなんだ、自殺も自傷も一つの言葉みたいなもんだったりするんだな。
行動もコミュニケーションツールとしてある場合があるだろ。
「跡が残る」ならそれは書き言葉なわけだ。
なので「こうやったら消えるんじゃないの」っつうのは余計なお世話な気がする。
言葉を覚えることとは、有用なコミュニケーションツールを獲得するというメリットもあるが、現実を覆い隠すデメリットもある。
それと同じで彼女のアムカ跡も、メリットがありデメリットがあるんじゃねーの。
むしろ、その話題をできるかできないかで、彼女は彼女の脳内対人心理的距離を決定してたりすんじゃね。
たとえば、elveさんにそういう話をすることで、アムカ跡という文字を使って、(彼女の脳内elveさんとの)心理的距離を措定しているんじゃなかろうか。
elveさん自身の自殺未遂も考えてみ。
それは一種の言葉として、(相手は誰かととは特定しない、むしろ「不在の誰か」であったりもする)コミュニケーションツールとしてそういった行動を起こしていたりしないだろうか。
自傷っ子とは昔はよく喧々諤々やってたな。ブログにも記録が残ってるかと。「まんこちゃん」で検索してみるとよろし。
麻酔クリームでリストカット成功率あがるだろうか・・・
まぁ見た感じ繊細な私に酔いつつどん引きされるのは避けたいというA型らしい感じだよ(偏見w
おまえがその傷を隠そうと隠すまいと他人の気持ちは変えられないから
一番気にしてる自分を変えるしかねーぞとかソレっぽいことは言ったが
「2chとかで酷いこと書かれるじゃないですか・・・どう思われてるのかって・・・」
そらおまえ、バカ認定はするだろw とかは言えなかったwww
前も書いた気がするが「かソレ」でカツレっぽくみえるよねw
喧喧囂囂侃侃諤諤
> elveさん自身の自殺未遂も考えてみ。
絶望でしかない
>なので「こうやったら消えるんじゃないの」っつうのは余計なお世話な気がする。
こんなんじゃ仕事も見つからないし
バイト先でも半袖の制服着れなくてなんだこいつって思われてそうでー
とかいってたので、消したいのかと思ってたが
言われてみたら消したいという相談ではなかったwww
絶望が楽しんだろ(ゲス顔
まあA型的とB型的の違いをもって「こむすめと私は別タイプだしー」と言いたいのだろうが、わたしには自殺未遂経験者elveとこむすめは同じ穴のムジナ的に見えるんだが。
あ、もちろんわたしも自殺未遂経験者なのでムジナだが。
なんかこう、こういうelveさんがときどき見せる不幸な人という同類を突き放そうとするのを見ると妙にわたしの中でelveさんに対する嗜虐心が生じてしまうのだな。
首吊り動画を漁ってたら柔道の絞め技みたいなので「落とす」動画があってまあ要するにだまされたわけだが一瞬elveさんを「落とし」てみたいなあとか思ったりした。
あたしよりウジ虫な人間なんて消えて無くなればいいのよ!!
あるいは私がさっさと消えて無くなるべき!!
どっちも実現しないなんてこの世はクソだし神は死んでるよなぁ!!
って感じになるのよねw
> 「こむすめと私は別タイプだしー」と言いたい
いや、ローン組んだり収入以上の消費をするのって
経済的自傷行為だったのかなぁ、と
兄がそういうタイプだから、享楽的と思っていたけど
違うのかもなーとか思ったのだ
結果として払いきれなくなった借金ママに払って貰うクズとして
また自身を傷つけるのだろうし
今ギロチンにセットされ、その刃を引くロープを持たされたら
手の皮むけても握りしめてるんだろうなぁ、とも思うんだけどな
享楽的と言うより刹那的快楽か
>神は死んでるよなぁ!!
死んでるから神なんすよ。
>いや、ローン組んだり収入以上の消費をするのって
>経済的自傷行為だったのかなぁ、と
結局のところ、それも「自分を語る言葉」を探してるんじゃないかなあ。
自傷が「自分を語る言葉」であり書き言葉であるならば、そういった意味で彼女の消費癖もそうだとは言えるかもしれない。
お金も商品もシニフィアンである。
ギロチンは一瞬だからなあ。
繰り返し「落ちる」のが見れる「落とす」の方がいいや。
「こんなんじゃ仕事も見つからないしバイト先でも半袖の制服着れなくてなんだこいつって思われてそうでー」というこむすめにとっての自分を語るいい言葉になってるわけだろ。アムカ痕が。
全然興味なくて切れる俺w
おまえの中の脳内他者が
おまえをどう思っているかなんて
俺が知るかバカっ!!
でも一緒に夕飯食べに行ったりしてるw
こむすめが1年前に同じ仕事してくれてたら
俺はここまで追い詰められなかったかもしれない
なぜに一年前。
さ、兎が最後に飲めなかった薬処分したぞ
糞は掃除したか。
去年の6月に入社して7月にぷるぷるが急にこなくなった
そして全く何の予備知識もない私がお客様の口座のお金までいじることになるのである
ウンコはまだ転がってるかもなぁ
ぷるぷる(notブルツー)ダウン8月だったかもしれない
それならぷるぷるが休まずにすんだかもなぁ
ぷるぷるは去年の5月入社で
こむすめは一昨年から現場で働いてるから
あー引き継ぎどうのこうのって話か。
まあ会社に限らずすべての人間関係がすれ違いであるからな。
「人間関係は存在しない」
手の平蚊に食われてすげーいらっとしてるのもある。
まあでもあれだ、
>おまえの中の脳内他者が
>おまえをどう思っているかなんて
>俺が知るかバカっ!!
これはわたしの人生のほとんどではある。
わたしのセリフみたいだ。
人の入れ替わりが激しい時点で・・・
ブラックなのよね。
インバウンド事業部立ち上げてタイに何回も出張行かせた管理職が
独立するとかでやめていったwww
> わたしのセリフみたいだ。
思ったw 私も思われてそうだな、と
んで脳内だって自覚してるからまだ話せる とか続くに違いない、とw
社長「こういう小さい会社で労働基準法なんて関係ないから」
いやいやいやいやありますから。アンタ訴えられてますからwwww
現場には次々と新人が入ってきて
3日とか一週間で辞めていくwwww
なんか辞めた後も仕事外注で、とか言ってたけど
関わらない方がいいような気もしているんだよね
東京行くんじゃねーの。
データ入力とかエクセルマクロ化とかで
向こうもelveの雇用はまだ残しておかないと(?)なぁとか言ってて
ネット経由で仕事もらえるならもらった方が良いかなーとか
思ってたんだけど嫌な予感がしてきたw
車持って行くから駐車場代くらいは稼ぎたいのだけどね
あーそういうことか。
なんだろうな。
若い、というか精神年齢が低い退行的な女(elveさん含む)だと、「脳内他者」を脳内とわかってる部分があると思うんだな。
脳内他者を実在の他人だとすることに控えめなところがある。
まあ専門用語で言えば「疎外」「alienation」って奴だ。自分が疎外されている主体であることになんとなくぎりぎりうすうす気づいている。
だけど母になると(実際に子供を産まなくても精神的にそう「成長」すれば)「疎外されている自分」というのが心の奥底に格納されてしまう。
疎外されなくなる。
そうすると脳内他者を他人に押し付けるのが不躾になる。
「こむすめ」がどんな人かしらんが、無駄に鋭いelveさんが「こむすめ」と言っているのであれば、「母性的」ではない「退行的な女性」なのだろう、という臆見でした。
鋭いというかどんな人の中にも自分の嫌な部分を投影する妄想力によって
人間嫌いになってるというか何というかw
話変わるし全然関係ない話についてたブックマークなんだけどさ
===
特定の男性に愛着を示すのも一途でカワイイアピールにはなるけど他の人間を遠ざける原因にもなる
http://b.hatena.ne.jp/hisawooo/20140719#bookmark-207427885
===
これ私たぶん、最初の彼氏できたときから「特定の男性に愛着」をアピールして
ほかの男を遠ざけてたなぁ、とか思った。
あたし可愛いからさぁ。自己防衛本能だろうな、とか思って。
そういうのの一端で消毒を(ry
一人残らず遠ざければいんじゃね。
男の場合いくら退行的であっても「疎外されている自分」を心の奥底に格納したままでいられるけどな。
まず「疎外」に気付くのが大事であって、それが逆に去勢ということであって「大人らしさ」とか言われることでもあってまあ「大人らしさ」ということ自体が幻想なわけだからなんでもありなわけだけども。
でなんだ、そういうことなら、「疎外」に気付けない男の退行はアウトだが、「疎外」に気付ける女の退行はよろしい、という話になると。
精神分析的には。
だんすぃはママンと同一化せずに
しかし阻害されずに育つのではないか
とかまたひがんでみる
阻害されないと信じて育つ、でもいいや
どんな母親でも子供は大好きです、みたいな呪い
ちんこのおかげで疎外されないと信じれるわけだ。
ママはいつだって僕にチンコが生えるように祈ってくれてるし
僕にはチンコが生えてるからママは喜んでるよね!!
みたいな妄想がベースに人格形成されやすいのだろう
陰核包皮と陰核の狭間というか間に恥垢塊があり
摘出を試みたが触れば触るほど充血して取りにくくなり
諦めた。首痛い。
毎回同じところにできて、圧迫するとにゅるっと出てきて取れることもあるのだが
今回の奴はなかなか取れない。前にも出血して挫折した。
どうも皮膚の下に膿がたまるような状態になっている気がする
これは婦人科案件なのだろうか。クリトリスにニキビがーって感じか
恥ずかしすぎて無理(;´Д`)
こう言葉にできるけど病院には行けないってのがいろいろややこしいところだよなあ。
潰したというか、ピンセットで取り出した。
周囲が充血して敏感になってるので、何度か触れてしまい非常にいたかった
赤むけみたいになってるのでワセリン塗っておく。
本日も全裸で漫画読み
そして全裸で就寝。
まあたまたま気付いただけだがわたしが言ったこのブログタイトルが「疎外」であるよな。
男の子のばやいファルスΦという幻想の向こうに疎外という幻想があって、精神分析の真骨頂はこの「疎外」についてにあると思うんだが、女の子はファルスΦという幻想がない分疎外という幻想という本題にすぐ入れるわけだな。
なので某殺人分析家さん(男性)などは「女性の方が精神分析家になりやすい」とか言ってる。
まあわたしなんか腐女子の視点ってのがまさに精神分析の男性同性愛に対する見方とほとんど同じだったことからその時点で「女の方が分析家に向いてるだろ」と言っていたんだからな(なにがだからなのか)。
Φ←マンコではない。ここ重要。
正直「疎外」がわかれば「転移」もすぐわかるし恋愛やら信頼やら尊敬やらってのもすべて「転移」であることがわかる。
逆に男の子はΦが折られたときの反発が強い。「男性的抗議」という奴だな。
「男性的抗議」すらできないほど折られてしまうと黒子のバスケ脅迫犯みたいになる、と。ただし彼は逮捕されてΦが妄想であることに気付けたようだが。刑務所にいる彼は今男性の中では「分析家になりやすい人」だったりしよう。
Φが折られて傷つくのはΦが妄想だと気付けていないから、でもある。
普通の男の子はΦを心の奥底に格納して(だから疎外もさらにその下に格納されてしまうわけだが)巧妙に隠蔽して生きる。そうすればΦを多少傷つけられても平気である。
これが殺人分析家の言う「現代日本は大学の言説になっている」ということかと。
精神分析とは基本的に妄想の解体なわけだが、男の子のばやいは解体する妄想が二段構えなんだよな。ファルスと疎外と。
女子は妄想が一段構えだから、妄想を妄想だと気付きやすい。分析家になりやすい、と。
黒子のバスケ脅迫犯の書いた文章などは要するに「私の問題は社会的システムとは関係ありません。私の問題は疎外されていたことです。」という要旨だと思うんだな。
Φを徹底的に折られて犯罪を犯して捕まった彼はやっとΦが妄想だと気付き(彼曰く「錯覚」)、疎外という更に一段下の妄想に気付けた、と。
通常の心理カウンセリングと精神分析はまったく別物なのだが、今彼の状態にこそ精神分析が適用されるのではないだろうか。
>Φが折られて傷つくのはΦが妄想だと気付けていないから、でもある。
>普通の男の子はΦを心の奥底に格納して(だから疎外もさらにその下に格納されてしまうわけだが)巧妙に隠蔽して生きる。そうすればΦを多少傷つけられても平気である。
でΦを心の奥底に格納し損ねたのが以下みたいな感じだと思うのよなあ。
http://www.solea.main.jp/?eid=960397
夫婦の関係が悪いと母子カプセルを壊すことができず、いつまでたっても父性が登場しません。父性の登場がうまくいかなかったり、自分は2番手なんだという自覚が生まれにくかったりした場合、母も子も二人で母子カプセルの中に居続けます。この状態が依存症や思春期の問題、摂食障害にも影響します。これらアディクション(嗜癖)の問題は幼児期に源流があるわけですが、エディプス期のつまづき(父性の問題)も大きく影響するのです。
何をやってもうまくいかないという人も、この時期の問題を引きずっています。私はきっと成功する、私はすごいことができるという信念を持って生きている人がいます。これは誇大妄想的で躁的な生き方ですが、成功するという信念を持ち続けるには失敗する現実に直面してはいけないわけです。そのため現実的な行動を避けるようになります。例えば自分が天才的スポーツ選手でいるためにはスポーツをしないでいるわけです。スポーツをしてしまうと化けの皮がはがれます。こうゆうように評論家として生きているわけです。このような生き方では、何をやってもうまくいきません。エディプス期が宙ぶらりんになっている、この時期の成長が完了していないわけです。
ここでは「父性が登場しない」と書いているが、これは「去勢の否認」であって、厳密に言えば「父性は登場しているけど自分でそれを認めない」というものである。
まぁ好きで長文書いてるんだろうからどうでもいいだろうけど
マンコで中折れの話にしか読めなくてちょっと申し訳ない気分
間違ってはないので気にすんな。
ラカンはファルスを「ワニの口にするつっかい棒」だと言った。この「ワニの口」とは「母のマンコ」でよろしい。
ファルスというつっかい棒が折れてしまったのが「母子カプセル」な人なわけだな。
死ぬほど一生懸命やれることがあればよかったんだろうなぁ
elveさんは生きることに一生懸命だろう。
一生懸命というか必死
必ず死ぬので生きるのかw
箸三膳分の愛 – 傘をひらいて、空を
http://d.hatena.ne.jp/kasawo/20140722/p1
今日は自意識過剰モード
神様がこういう感じで私をヲチしてそうだw
未だに蓮コラみたいなキチガイだけどもなwww
惨めだと思われてはないと信じたいところだw
こむすめのアムカ
手の甲側までびっしりあって
ちょっとびっくりしてしまった
>だからといって何も入れなければ穴はいつまでも穴のままだ。
殺人分析家さんは「穴を穴として耐えて生きることが救済である」と言ってるよ。
惨めから連想したなw
そら自分の穴が人殺しても埋まらなかっただけだろw
蓮コラであることが「聖人」(これラカンが言ってるのな。ダジャレで)であることである。
しかり。
なので人殺しもしてない奴なんかが穴を埋められるわけがなかろう。
経血レバーに白い筋状のモノとか混ざってて
なんか嬰児の死体ですって写真UPしたら通報されそうなグロさだった
ちなみに自分の顔にいっぱい穴が空いている妄想は子供の頃からよく見てて草間彌生のデビュー絵画がそういう肖像画で「うわわたしやっぱそっち系か」とか思ったのはいい黒歴史である(遠い目)。
嬰児の死体って死人の死体です、みたいなもんか
嬰児の意味間違って覚えてた←ググった
つまり通報されない殺人ができても穴を埋められないということだな。
普通に胎児で良いのか。
壊疽みたいなのと混じってたんじゃないかと思った。
脳内で殺しすぎなんですよ(´-ω-`)
私は鼻の毛穴を血が出るまでいじってしまう癖があってな・・・
あんま関係ないなw
脳内じゃなくても卵子とか殺しまくりだから無問題。
ついこないだ尿道オナニー動画を見たんだが毛穴オナニーみたいなもんか。
卵子・・・生きてるで良いのか
生きているだろうけども
なんだろーなー、むかーし彫師の知人がいたって話したっけか。
その人はバイク事故で死にかけて彫師になったとか話しててな。
刺青びっしりなんだな。
なんかそういうことから、刺青もアムカも「死の欲動のアクティングアウト」であって、アクティングアウトであろうと言葉なわけだが、単純に「書き言葉」にしたかっただけなんじゃないか、と思ったりするわけだ。
今日風呂場で洗い流した垢だってついこないだまでは生きてたんだぜ。
ちなみにこんな経験から金原ひとみとかに過剰な近親憎悪を感じて頭おかしくなってた時期があったりなかったりする。「蛇とピアス」な。「AMEBIC」で「あ、やるじゃん」って思ったけど。
文学板である人から綿矢りさだと思われてもんのすごい転移されてたことがあるんだが、「金原ならわかるんだけどなー」と何度も言ってたのに最終的に二人でスレ追い出されて専用スレ建てられてそこで熱烈な愛の告白をされたことを思い出した。
「蛇にピアス」だった。
まあ関係妄想っすな。
おれにとってはここが「死の欲動のアクティングアウト」ってことか
よくわからねーけど
読んでないんだけどチンコにピアスつける話なん?
舌にピアスつける話だけっか。スプリットタンだから蛇。
語れてるならアクティングアウトじゃないので(あくまで基本的な理論として、「言説もアクティングアウトだ」あるいは「アクティングアウトは言説だ」とか言う人もときどきいるけど)安心おし。
刺青も自殺はアクティングアウトだが、アクティングアウトも言説も幻想・仮象である。
なので別にアクティングアウトを言説でやってもいいわけだな。
「死の欲動の言説」なんて聞こうとする奴はそうそういないだろうが、分析家はそういう言説を聞くお仕事であると。
「死にたいという話」ができないから「まじで自殺しよう」ってなるんじゃね。
「死にたいという話」をしている分には死なねえだろ。死んだら話せないわけだから。
>惨めから連想したなw
ちなみにラカン曰く「聖人」とは「人間の屑」みたいなものである。
elveさんの言葉で言えば「びりっこであることが清いことだ」みたいな感覚は実はキリスト教の感覚だったりするわけだよ。
ちなみに殺人分析家さんの本名でぐぐったらわたしブログが二ページ目にくるのだがわたしブログ見てたりするのだろうかという関係妄想ドキドキ。
「びりっことして生きることが清い」=「穴を穴として耐えて生きることが清い」とすれば、「穴を何かで埋めることは汚い行為だ」となるわけだ。
そういう感覚は(殺人分析家曰く)キリスト教カトリック圏文化では正しい感覚らしいぞ。
その人の言う「惨めな人」が、キリスト教カトリックにおける「聖人」なわけだ。
殺人分析家のツイッター見てるとな、わたしがブログで言ってよく批判されてたことと同じような論点が3点くらいあってわたし自身ちょっとびっくりしてたりすんだよな。
●女の方が分析家になりやすい。
●精神分析は症状が悪化するのもありとしている。
●分析家になることは父の名を排除すること(これは精神病の病理でもある)である。
批判されてたわけじゃないがもう一点付け加えるなら
●死の欲動を認めることが精神分析である。
も言ってる。
んでわたしよりアグレッシブなこと言ってたりすんだよ。まあイメージ的な「言い方」についてはそれこそカトリック神父みたいな言い方で、わたしの方が口汚いのは確かだが、内容はわたしよりアグレッシブだ。
たとえば「女の方が分析家になりやすい」ということについて、彼は(彼は分析家になることが救済だとしている)「だから男は救いようがないのです」とか言う。わたしはそこまで言ってないwww
なんつの、それこそ以前ちらっと出た単語「防御壁」として(わたしの持論にとって)はすんげー有効なのだよ、彼の論は。
それこそわたしブログ見てたんじゃないかという関係妄想ヒヤヒヤ。
まどマギの「魔女」の描写とかそれこそわたしの言っている「魔女」とすんごく合致していてワルプルギスの夜とか「舞台装置の魔女」でわたし元大道具だったの公言してるしとかで関係妄想ヒヤヒヤしてたがまあわりとどうでもよくて他人から「エヴァンゲリオンがフロイトだったから次はラカンだとなるのは普通でラカン用語ぐぐれば大体ランダのブログにたどり着くからなー」とか言われてちょっとヒヤヒヤしたぐらいだが、今回の関係妄想はもっとヒヤヒヤである。
「男は救いようがないのです」か
なんつーか逆方向で考えていて「女は何を欲望するのか?」とか読んで
分かるような気もするんだけど、この著者は男性だから
絶対に分からないのだろうなぁーと思っていたけど
私が女性だから分からない部分の話かもな、とか思った
絶対に無くならない穴、マンコから生まれ
マンコ(絶対に無くならない穴)を持つ女であるから
無くならない穴を認めれるしソレを埋めるのが一時的なモノであることも知ってるけど
男性は穴の存在自体を認めたくない、的な
やっぱ人殺すよりケツ掘られた方がよかったのかもしれんね
相手が居れば
たとえば「疎外されないこと」を「他人と繋がっていられること」と言い換えるなら、
>例えば自分が天才的スポーツ選手でいるためにはスポーツをしないでいるわけです。
とかは、「自分が天才的に他人と繋がることができる人でいるためには、他人と繋がらないでいるわけです」と言い換えられる。
「穴を穴として耐えて生きること」とは、「疎外」という不安の根源とも言える幻想についてきちんと向き合って生きるでもあるわけだな。であるので、「聖人」は「「他人と繋がることができないのが現実であり、他人と繋がらないでいる」ことだったりするわけだ。
ラカン曰く「聖人というものは、慈悲を施さない。むしろ彼は屑たろうとする」。
イメージ的にも無理心中で恋人殺して自分が死にきれなかった殺人犯が言うとこの話は説得力があるだろ。
事件の経緯とか詳しくしらんが、別れ話のもつれとかだったりしようさ。別れ話はもっとも具体的な「疎外」の一つである。
>男性は穴の存在自体を認めたくない、的な
そう、その穴をないことにするのがファルスΦなわけだな。
>やっぱ人殺すよりケツ掘られた方がよかったのかもしれんね
まあキリスト教者であることが(殺人以前から信者だったらしいが)一つのケツ掘られであるかもしれない。
まあ「救済」って単語はわたしは「うーん」ではあるけどな。
「穴を穴として耐えて生きること」が分析家であることというのは同意だが、それを「救済」とするのはちょっとちがくねとかは思う。
でもまあカトリック文化だとそういうのが「清いこと」とされてるから「救済」になったりすんのかな、とか。
>>男性は穴の存在自体を認めたくない、的な
>
>そう、その穴をないことにするのがファルスΦなわけだな。
ちんこにも尿道という穴があるわけだ。
なのでわたしは「男の子たちは尿道オナニーしろ」と言ったりする。
>●分析家になることは父の名を排除すること(これは精神病の病理でもある)である。
これについて補足しておくと、つまりは分析家も精神病者も父の名を排除した主体であるわけだが、違う点もあって、それが、精神病者はイメージ(幻覚妄想)で語るが、分析家は言葉で語る、という違いなわけだな。
それがこの記事で言う
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-910.html
=====
これさ、分析家も同じことやってるわけっしょ。無意識を解釈するのが精神分析。
だとしたら、分析家はパラノイアと同じだ、となる。
でもそうであっちゃだめ、って話じゃん。他者と「リビドー的な構造」を共有しているのがパラノイアで、分析家はそれを禁じている。
この差異を、方法論として述べたのが、「欲望は文字通りに捉えなければならない」ってことだと思うんだが。
=====
ってことなわけだ。「分析家は言葉で語る」=「欲望は文字通りに捉えなければならない」ということ。
elveさんの家系ってどっかにカトリック的な影響あったりしないか。
>今回の関係妄想はもっとヒヤヒヤである。
アニメのネタになること(もちろんただのわたしの関係妄想にすぎない)とか現実原則的にはあんまり関係してこないからなー。
ラカン理論に関係することはわたしの現実原則的社会的に関係してくることだからか。
実名だからびびった大野さんを笑えないわたしであった。
「疎外」「alienation」を理論的に説明すると、鏡像段階によって鏡像から自我を想像的に作り出した際、主体は「疎外される」わけだ。
いわば「疎外された主体」とは、自我あるいは鏡像的他者の外側にあるものだとなる。
自我や鏡像的他者が主体を「疎外」するわけだ。
ラカン理論で「主体」と言う場合、一般的な言語感覚だとそれは「自我」と同等なものと考えられがちだが、このように「主体」と「自我」は異なる概念であるわけだ。
話がそれたな。
つまり、転移しているうちは主体は「疎外」され続けるし、転移によって「疎外」という穴が仮象の次元で埋められるわけだな(もちろんそれはあくまで仮象の次元で埋められただけなので心の奥底では「疎外され続けている」が)。
「自我とは想像的なものである」などを考えれば、精神分析理論における「疎外」とは、「幻想により現実が疎外される」という意味であることがわかる。
つまり、現実と幻想が出会ったとき、幻想により現実が「疎外」されるわけだ。
現実が「疎外されるもの」。幻想は「疎外するもの」。
なので幻想がなければ「疎外」もない。
なのでわたしは「疎外という幻想(幻想が疎外するという意味で)」と言うこともあるし「疎外という現実(現実が疎外されるという意味で)」と言うこともある、と。
>この著者は男性だから
>絶対に分からないのだろうなぁーと思っていたけど
>私が女性だから分からない部分の話かもな、とか思った
ちなみに現代は大学の言説になっていて、ファルスが抑圧されやすい時代だと言える。
現代文化を生きるとき(ある哲学者の用語を用いれば「頽落」して生きることだったりするが)、男の子はファルスを抑圧して生きなければならない。
男の子場合この「ファルスの抑圧」を「俺は疎外されている!」とか言う場合もあるので注意。
「疎外」とはいわば転移の穴、広義に言えば人間関係の穴であるわけだが、「プライドが傷付けられるのが怖くて人間関係を築けない」とか言うのは「ファルスの抑圧」であって「疎外」ではない。
まあ男の子には男の子の苦労があるってことで。
とはいえ、ファルスを抑圧する大文字の他者に対してファルスを言説することは、わたしはファルスにも穴がちっちゃいものかもしれないが空いていると考えているので、その穴にすなわち「疎外」に気付きやすい時代だとも言える。
こんな時代においては、男の子は「プライドを傷付けられまくりながら(ファルスをむき出しにしてファルスを折られまくりながら)人間関係する」ことが「疎外」に近づける有効な方策であったりしよう。
殺人分析家は大学の言説を強迫症の言説と読み替えているが、「プライドが高いゆえにそれが傷付けられるのが怖くて人間関係を築けない」というのは強迫症としての対人恐怖症の基本的な病理であったりするな。
強迫症者が「僕は疎外されている」と言ってもそれは「ファルスがおとーちゃんに抑圧されている」という意味であって、わたしがここで述べている「疎外」とは別の意味であることに注意。
だから「男は救いようがない」わけだよ。
まず「疎外」「alienation」に気付くことが重要なのだが、彼にとっての一般的な「他人から疎外される」という意味は「ファルスがおとーちゃんに抑圧されている」という意味であって、精神分析理論上の「疎外」「alienation」まで辿り着けない。
「プライドが高いゆえにそれが傷付けられるのが怖くて人間関係を築けない」というのは、要するに「人間関係を築かないことでプライドを守っている」わけだろ。ファルスΦだったり自我を彼は守るために「対人関係を築かない」わけだ。
自我を守っているのであれば、自我とは鏡像関係によるものであるので、「疎外する幻想」を守ることになる。
また「疎外する幻想」は幻想自身の次元では「疎外」=「穴」を埋めるものでもある。
「疎外するもの」を守ってそれを気付かないようにすることになるわけだな、彼の言う「僕は疎外されている」は。
だから男は「疎外される現実的なもの」に辿り着けない。「男は救いようがない」わけであるよ。
「疎外する幻想」かつ「幻想の次元で疎外=穴を埋める幻想」の中をくるくる回る哀れな籠の中の鳥。
まあでも「抑圧されてる男の子」の方がぶっかけは少なくなるものではなるのでわたしはそれでいいがな。
殺人分析家の言う「精神分析という救済」は、「抑圧されること」ではなく、さらにその奥にある問題に着目することからはじまる、というだけで。
わたしはそこまでやる気にはなれん。
ぶんせきかってたいへんなおしごとですねえ。
要するに強迫症における精神分析は、
「抑圧から解放される」→「(ラカン理論の言う)疎外に気付く」→「疎外というのも幻想だと気付き疎外から解放される」
という工程なわけだ。
小文字の倒錯などは「抑圧の否認」だったりするので上にさらにもうひとつ工程が必要になってくる。
「抑圧の否認を承認させる」→「抑圧から解放される」→「(ラカン理論の言う)疎外に気付く」→「疎外というのも幻想だと気付き疎外から解放される」
めんどくさいことこの上ない。
上の「母子カプセル」ってのはラカン理論で言えば倒錯だという説明は以前にしたっけか。
まあ倒錯とは「疎外する幻想」の上に「疎外しない幻想」を重ねるものだから、一人相撲的に幻想が解体されていくこともあるが、それを両立させたままでいられるのが小文字の倒錯だったりするのだな。
これが一番精神分析しにくい。そしておそらく日本人男性は他文化と比べ小文字の倒錯が多い。
これがラカンが「日本人は精神分析できない」(精神分析しにくいという意味だとわたしは思っているが)と言った意味であるのではなかろうか。
一方、女・ヒステリーは、
「(ラカン理論の言う)疎外に気付いている」→「疎外というのも幻想だと気付き疎外から解放される」
工程が一番少ないわけだ。
なので精神分析しやすい、となる。
精神分析の終わりとは分析家になることだから、分析家になりやすい、となる。
で、elveさんの言う男の「私が女性だから分からない部分の話」ってのは、上の「疎外に気付く」以前の二つの工程だったりすんじゃねえの。
>なのでわたしは「疎外という幻想(幻想が疎外するという意味で)」と言うこともあるし「疎外という現実(現実が疎外されるという意味で)」と言うこともある、と。
について。ややこしい言い方したが、平たく言えば、「ファルスも疎外も妄想であるが、比較的、疎外の方が現実的である」ということだ。
これわたしが以前言っていた「被害も被害妄想も妄想だが、被害妄想の方が現実的である」というのと同じ構造。
>「抑圧から解放される」→「(ラカン理論の言う)疎外に気付く」
(強迫症としての)対人恐怖症はこの工程が一番めんどくさいんだよ。
彼の脳内では「抑圧されること」=「疎外されること」だから。
抑圧と疎外の区別がつかなくなるのがファルスΦの作用なわけだ。
ここらへんはまあほんとお腹いっぱいゲロ吐くぐらいに。
父方は祖父母が洗礼受けてたはず。浄土真宗で葬式したけど。
(母方は日蓮系)
父方のひいばあさんかその母が「まりあ」だったのでカトリックかもな
>まあ「救済」って単語はわたしは「うーん」ではあるけどな。
なー。
なんか、俺は穴ねーからわかんねーけどソレあるから救済されてるはず!!
って男らしい考えかたっすね、ってちらほら
無い物ねだり的に自分の望む救済は
自分の行けない場所にあるはず、ってのは
性差なくあるかもね
ここじゃないどこかへー(中島みゆき)
でも疎外にうすうす気付きながらも、elveさんなんか「本当の恋愛」みたいな「幻想じゃなくて他人と関われる」と思ってしまう部分もあるんじゃねーの。
それがelveさんの脳内の小文字のファルスφ、つまり脳内ちんこあるいはニキビクリトリスの存在なわけっすよ。
大文字Φじゃないだけで。大文字じゃないからこそ「疎外」に気付いちゃうんだけどな。
この「疎外への気付き」が「びりっこであることが清いこと」ってイメージに加工されてるんじゃねえのかなあ。
幻想じゃなくて他人と関われると思い込める妄想を求めてるw
妄想で全然OKだから思い込ませてくれよ!!的なw
自分を裏切りすぎたので鼻がきくようになってしまったorz
>性差なくあるかもね
まあそもそもわたしの言う「男」「女」が生物学的にペニスがあるか子宮があるかって違いじゃない意味だからなあ。
生物学的に言えば、男も女も小文字のファルスφがある。それはペニスやらクリトリスやら。イメージだから人によっては子宮だったりおっぱいだったり盛り上がった筋肉だったりしてもよい。
だけど元々は、男も女もφはない。なにせそれはイメージの世界の根拠であって、生まれたばかりの子供はイメージの世界にすら参入してないとすれば。これが殺人分析家の人が言う「斜線が引かれたφ」なわけだな。
そんな状態から脳とか感覚器官が急激に発達して、イメージの世界に入る。
そこはφな世界なわけだが、元々がφなんてなかった世界なのでもろくて壊れやすい。これがラカン理論の「−φ」って奴だ。
せっかく作った世界が壊れないようにするために、発達してきた脳の言語認知機能を活用して、大文字のΦを作り出す。
しかし、生物学的な女にはφだとして認知されることが多いペニスがないため(クリトリスは認知しづかろう)、生物学的な女は「−φ」の中途半端な状態のまま大人になることが多い。
これがジェンダー論的な意味でのつまり「女らしさ」とか言う場合の女であることなわけだ。
要するに、ジェンダー論的な意味の「男」「女」とは、ごく平たく言えば「男らしさ」「女らしさ」みたいなものであって幻想なわけである。
だけど生物学的な男女ってのも幻想だと考える考え方っつっかなー。
余談だが「男らしさ」「女らしさ」とかって幻想を研究するのがジェンダー論であるわけだが、幻想を研究するのが精神分析であるため、この部分について両学問は接続されるだろう。
>妄想で全然OKだから思い込ませてくれよ!!的なw
わたしもそういう時期はある。
「嘘を信じ込ませてくれよ」的な。
まあまさにこれが「ヒステリーの挑発」って奴ですわ。
でも男が差し出す嘘すべてに「嘘じゃんいらね」となるわけだ。
これが「ヒステリーはノンを言うのが仕事」って奴。
相手の欲望を挑発して拒絶するのがヒステリー。
わたしが人間関係するならヒステリーの語らいでしかできないと思う。
>女は「−φ」の中途半端な状態のまま大人になることが多い。
だから「疎外」に気付けてそれとちゃんと向き合うことがたやすい。
それと向き合ってそれ自体が幻想であると気付き、「斜線が引かれたφ」の世界に究極的に退行することが分析家になることであるので、「女の方が分析家になりやすい」となる。
もちろん前精神病者だったらなれないけどな。
わたしは分析家になれないっぽい。
elveさんなんかちょっと精神分析勉強するだけでいい分析家になろう。
あのメラニー・クラインとか理論的な理解が全然なってないとか批判されてたわけだし、ちょっと勉強すりゃいいだけだよ。
「妄想で全然OKだから思い込ませてくれよ!!」
(妄想を差し出される)
「妄想じゃんいらね!!」
でいいと思うよ。たかが人間関係は。
>>まあ「救済」って単語はわたしは「うーん」ではあるけどな。
>なー。
「なー」じゃないだろw
elveさんは救済求めてるだろ。「びりっこであれば愛される=救われる」がelveさんじゃね。
わたしは「救済自体が一つの煩悩である」と思ってる。
男、強迫症者が言う「僕は疎外されている」というのは、「自我が疎外されていること」=「自我が抑圧されていること」なんだな。
一方、ラカン理論における「疎外」とは、「自我が形成されることによって疎外されている自分」なわけだ。
「疎外されている」のが、自我とは別物の自分であるわけだ。
それはエスと言ってもよかろう。
上の
>「抑圧から解放される」→「(ラカン理論の言う)疎外に気付く」→「疎外というのも幻想だと気付き疎外から解放される」
は
「抑圧を解体して自我を解放する」→「自我を解体して斜線の引かれたエスを解放する」→「エスとして生きる」
と書き換え可能なわけだ。
ヒステリーとは「転換性障害」であって、これは「心理的ストレスが身体的不調に転換される」という意味なわけだが、このときの「身体」とは「想像的身体」なんだな。
たとえば有名なのがヒステリー盲目というのがある。心理的ストレスで目が見えなくなっちゃう。これは実はヒトラーがそうだった。映画なら「さよなら、さよならニューヨーク」等でネタにされてる。
ヒステリー盲目は、眼科検査など受ければ、目に問題がないことがわかる。反射的な目の動きはしているんだな。あくまで心理的な過程で目が見えなくなっている、と。
elveさんの「セックスしたいけど不感症です(^^)」っていうのも、そういう転換性障害的なヒステリー症状だったりするのかもしれない。
> elveさんは救済求めてるだろ。「びりっこであれば愛される=救われる」がelveさんじゃね。
あれー救済されないやー
やべーおれビリじゃなかったわー
ビリになるように全力出してないのにビリじゃなかったわー
全力出してないのにーやべー
という男子だったかもしれないwww
分析家になって飯食えるならちょーっと勉強しても良いけどなぁ
生理痛で午前中休むってメールしたら
あちこち(w)から「いいよ無理するなよ休めよいいから休め」
と返信がありお休みになったがちょっとさびしいw
生きるの休めよ
まあ「ビリっこであれば救われる」っての自体が女性原理であるが男性原理でありうるからなー。
男性原理 → すべてのxについてΦ(x)は成立する。かつ、Φ(x)が成立しないxが存在する。
女性原理 → Φ(x)が成立しないxは存在しない。かつ、Φ(x)が成立するのはすべてのxではない。
Φ(x)ってのは関数な。
これの男性の「Φ(x)が成立しないxが存在する。」と女性の「Φ(x)が成立するのはすべてのxではない。」を両義できるようにイメージ化されたのが「ビリっこであれば救われる」って奴かなーと。
つまりelveさんにとっては「ビリっこであれば救われる」というのは自分が男性でもありえて女性でもありえるための幻想だと。
男性の「Φ(x)が成立しないxが存在する。」と女性の「Φ(x)が成立するのはすべてのxではない。」ってのは対偶なわけだ。だからこれらの真理値は等しい。
ゆえに男女はこの部分を共通の真理とできる。
ちなみにこの男性の「Φ(x)が成立しないxが存在する。」と女性の「Φ(x)が成立するのはすべてのxではない。」っていうのが「疎外」である。
「ビリっこであれば救われる」を「疎外に気付いていれば救われる」という意味だとすれば、まさに殺人分析家(男性)の言う「穴を穴として耐えて生きるのが救済である」と同じ意味となる。
女性であるelveさんと、男性である殺人分析家において、部分的に共通可能な要点が、elveさんの言う「ビリっこであれば救われる」と殺人分析家の言う「穴を穴として耐えて生きるのが救済である」ということなわけだ。
何も救われてねーっつーオチwww
ちなみに上記の男性原理女性原理は、ファルスと対象aを持って言い換えることが可能だとわたしは考えている。
男性原理 → すべての対象aはファルス化される。かつ、ファルス化されない対象aが存在する。
女性原理 → ファルス化されない対象aは存在しない。かつ、ファルス化されるのはすべての対象aではない。
しかしラカン自身が「ファルスとは部分対象である」と言ってるのでこの理屈は成立しなかったりする。
ラカンの言葉はヒステリーとして言っているのか分析家として言ってるのかわけて考えないといけないのであり、これは分析家として言っていることである、なんて反論は今思いついた。
だから「救済」って単語については「うーん」と言ってるんだがなー、わたしは。
まぁ、愛されたいが救われたいなら
チンコ生えるように祈られるのまっぴらゴメンってのもあって
終わってる
つか論理的に考えてみ。
>あれー救済されないやー
>やべーおれビリじゃなかったわー
「救済されなかったからビリじゃない」というのは「ビリっ子であれば救済される」の対偶だろ。
elveさんのその文章は「ビリっ子であれば救済される」という命題を否定していないんだよ。
対偶を証明している。つまり「ビリっ子であれば救済される」という命題を間接的に証明しているわけだ。
> 「びりっこであれば愛される=救われる」がelveさん
から連想したから前提条件にしてたわw
否定する気はない
素敵は敵の素。素敵要素一切を排除せよさらば聖人たらん と
つまり、「救済されなかったからビリじゃない」「という男の子」と、「ビリっ子であれば救済される」という女の子であるelveさんは、対偶関係にあって、真理値は等しいんだよ。
elveさんと殺人分析家は同じ穴のムジナなわけだ。
>から連想したから前提条件にしてたわw
その命題に対する反論のつもりで
>あれー救済されないやー
>やべーおれビリじゃなかったわー
>ビリになるように全力出してないのにビリじゃなかったわー
>全力出してないのにーやべー
>という男子だったかもしれないwww
って書いたんじゃねえの。
>素敵要素一切を排除せよ
だから自殺未遂してんじゃねーのwww
反論するつもりは毛頭ございませんでしたwww
救われたくてビリを目指すのか
救われないアピールでビリじゃないことをアピールしたいのかは
自分でもちょっと分からんけどもな
後者の方が男性的なのかな、と
そうか。まあ
>あれー救済されないやー
>やべーおれビリじゃなかったわー
>ビリになるように全力出してないのにビリじゃなかったわー
>全力出してないのにーやべー
>という男子
は正解である、という話だな。
それこそ対偶ではあるが「ファルス化されない対象aがある」と言う男性(ここでは殺人分析家)と、「ファルス化されるのはすべての対象aではない」と言う女性(elveさん)の違いでしかないわけだ。
> だから自殺未遂してんじゃねーのwww
まぁ、なんつの、そのときの気分の盛り下がりがこう、ね
理屈じゃなくなんかもう死ぬ事しか考えられなくなってね
まぁ3日目くらいからこれは死ねないかもしれない、とか現実路線に戻ったけどもw
>後者の方が男性的なのかな、と
まあ論理的に言えば同じ命題をそのまま述べているか対偶で述べているかの違いでしかない、という話だな。
結論:現実逃避で自殺未遂してた
命題に異論ないが目的が違うのかな、とは思う
>救われたくてビリを目指すのか
>救われないアピールでビリじゃないことをアピールしたいのかは
男がやたらアピールしたがるのはマザコンだと思うが
アピールされても(゜Д゜)ウゼェェェ だけだしな
「救われたくてビリを目指して」生きているのにつかれたから「救われないビリ」という別の命題を確かめようとしたんじゃねえの。
>結論:現実逃避で自殺未遂してた
まあelveさんにとっては「救われたくてビリを目指す」のが快原則であり現実原則ではあろう。
それからの「逃避」として「救われないビリ」になろうとしたんじゃねえの。
まぁ、現実からの救済=死って話だよなw
まだ救われないみたい てへ
あれだよ、「救われたくてビリを目指す」という、elveさんが否定できないelveさんの言う「現実」が、いわばelveさんの思考回路という一つの系の公理のようなものとしてあるそれがあることが、(実際的には救われてなくても、)一つの「救い」なんじゃねえのかな。
逆に言えば、「救われたくてビリを目指す」elveさんは最初から「救われてる」わけだ。
「救われないビリ」になりたいだけなら、死を選ぶのもひとつの選択肢だが、別の選択肢もあろう。
たとえばelveさんの脳内では「こむすめ」は自分より「救われないビリ」だったりしねえか。
であれば「こむすめ」みたいになれば「救われたくてビリを目指す」というelveさんの脳内「現実」からの「逃避」になるだろ。
まぁ、気の持ちようですからね。
でも「こむすめ」みたいにはなりたくないかなぁ〜
わたしの視点では、殺人分析家とelveさんは、同じ命題を対偶で言っているだけの同じ穴のムジナで、それらに反論できるのは、「救われないビリ」である(elveさんの脳内)「こむすめ」だ、となるんだが。
>「こむすめ」みたいにはなりたくない
その「なりたくなさ」がelveさんの頭の中にすでに最初からある「救い」なんじゃねえの、っつう話。