2026年3月6日

11 は “No.0427” について考えました

  1. まあ元演劇人から言わせてもらえば、芸術って領域は妄想が許されてる、みたいなところはわたしにもある。
    それが「芸術」なら「ぶっかけ」ていいじゃろ、的な。
    だからそういう「ぶっかけ」たがりさんには「小説書け」とかよく言う(ブログは言葉だけのものだから一応「小説」にした)。

  2. 元演劇人の言葉。
    「演劇は、舞台上にあるのではなく、観客一人ひとりの頭の中にある」

  3. まあ元記事を読んでおらんけど、作品(物語)を作ってる側からすれば、
    観客A「これはこれこれこういう物語だ」
    観客B「いやこれはこういう物語だ」
    って議論は外野視点になっちゃうのだな。

    だいたいそんな議論する受取手たちも、「じゃあ作者にどういうつもりだったのか聞いてみよう」とはあんまならないじゃん。
    こういう表現者を巻き込まないのが「妄想が許された人間社会領域」としての「芸術」が発達しているところでもあろうなあ、と思った。

  4. 宮崎息子はゲドだけ見たけどパヤオが照れ隠しみたいにして隠したりちらっと見せるだけだったことを堂々とやっちゃう人だなあとは思った。
    まあ「風立ちぬ」なんかは押井曰くそういう照れ隠ししてたことを堂々とやっちゃったって映画らしいけど。
    「風立ちぬ」はパヤオの吾郎化だったりしないだろうか。
    見てないけどな。

  5. コクリコは見てないし最初から見たいとも思わなかったし今でもそうだな。

  6. ぶっちゃけ「芸術」という領域はレイプが許される領域であるってことだな。
    クライン曰く「すべての芸術の原動力は乳房を求めることである」みたいな。
    フロイトも似たようなこと言ってるけど、「昇華」とかって曖昧な単語でぼかしたりしてるけどな。
    クラインはきっぱりそう言ったが、フロイトは同じ「乳房を求める芸術」でも「昇華」したりしてなかったりする。
    ぶっちゃけこの「昇華」ってフロイトの個人的嗜好に合うかどうかってことだとわたしゃ思ってるが。

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