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偉大なジャズミュージシャンは、私たちには何の曲だかわからないほど、いろんな音を取り混ぜて名曲をアレンジすることがよくあります。もっとも大衆受けするミュージシャンたちは、何の曲だかわからなくなる一歩手前でおさえようとします。
「あれはどういう曲なのか」と聞かれると本当に困ってしまうくらいに自分の解釈でメロディーをふくらませていってしまう演奏家をよく見かけます。
あなたは今、名人の域に向かいつつあるようです。今週末は基本の旋律にもっと忠実でいてください。
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まぁ良ければこっちにでも続けてくれよぅ
飛躍しすぎwww
まああんま気にすんなよ。こっちは勝手にやってんだから。
ちなみに『マリッジ』をうまく歌うコツは「新幹線までー」の「までー」のときとか瞬間的に演歌のコブシを回すこと。あくまで瞬間的。これが難しい。
http://d.hatena.ne.jp/rothko/20040918
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後年のララングの論理にいたるまで、このシニフィアンの小路というものを無視していたわけではまったくありませんでした。
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これはまったく同意だな。
しかしこのララングつまり幼児語については、クリステヴァ論の方が明るい。
ただラカン論はそれ以前の体系論がつながるから、それを含めるならラカン論の方が体系論的に幼児語を位置づけるメリットがあるが。
>また、「帝国」のアントニオ・ネグリも「構成的権力」のなかで、このファシズムとの一線を何処に引くかに苦心しています。
これは非同意。ネグリはファシズムとの一線は「印象論」で一線を引いている。
論理的に引けていないという意味で「苦心している」というならわかるが。
>ガタリがラボルド病院で行っていたような実践面での繊細な努力を、どう理論化していくか、
それはガタリがやるべきだった。ガタリはその著作でそれをやれていないとわたしは考えるが、この筆者もそう考えている証拠だ。
したがってガタリは精神分析家失格である。
>ガタリはその著作でそれをやれていないとわたしは考えるが、
ガタリの著作は「精神分析学の理論化」ではなく、単なるアジテーションだ。少なくとも『アンチ・オイディプス』は。
>それはまた、同時に、ラカンにララングの論理を強いることになった、なにか精妙な動きを、その論理の展開の中から探り出す必要とも、同じ水準にあるのでしょう。
クリステヴァやクライン論やればいいんでね? と素で思う。
ちなみにこのブログ最近更新されてないんだがわたしが潰したのかと加害妄想に陥っている。
http://d.hatena.ne.jp/rothko/20081228
もうこの歌の季節だなあ。
http://www.youtube.com/watch?v=BZC8nlr5p7Q
これキー変えたら変になるから一度もまともに歌えたことがない。
>むき出しでガサツな歌が心に響くね。
ようつべのコメント欄もたまにはいい感想書いてあるもんだな。
夏には死にたくないという気持ちがなぜかある。
だから夏になると「死にそびれた」という気持ちになる。
なんつか夏に失礼、って言うと春ならいいんだが春に死ぬ方が失礼だろと思うんだが、なぜか夏だ。
死ぬのは冬が一番だな。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-848.html
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イザナミ「人間を一日千人殺してやる」
イザナギ「ならば一日千五百人産ませてやる」
現代の人口問題に頭を抱える人類を見て、イザナミはほくそ笑んでいるだろう。
「死んでいいのよ。殺していいのよ」
イザナミは人類に死の許しを与えている。
死ななきゃ。もっと殺してから死にたい。
イザナミを産みたい。二人になれば一日二千人殺せる。
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勘弁してくださいほんとに。
木田原形而という自称ラカン協会会員から「6月から夏あたりが脂さんは調子悪いみたいですね」と指摘受けたが、なるほどなと自分で思うわ。
いやそいつともケンカしたが。
春の「生」は「生」だが、夏の「生」は、「父性隠喩に介入された穏やかな性関係」ではなく、生き死にの性関係、って感じか。
水着になるのはいやだな。メンズバーの人たちと釣り行って泳いだが、「そういうパターン」だと思ってセックスしたしな。
これはわたしに性欲あったのだろうか。ムラムラはしてなかったが、「パターンにはまった」という自覚はあったので、性欲だと認識している。
ムラムラは性欲ではない、となる。
「性欲はわかる」ってのが本当にわからない。「パターンにはまった」のは性欲ではないのか。
「意外と股ゆるい」みたいに言われてたんだろうなー。
まあ学生時代からヤリマンって自覚はあったし。いや世間一般のヤリマンとは程遠いが。エリートの世界でのヤリマンって程度。
『サマーヌード』で泣けるってよっぽどだな。
ひさしぶりだな、情動コントロール障害。
情動コントロール障害における涙は正常人の「ハイウェイ」による解釈である「悲しみ」とは限らない。
まあ多分、自分勝手に本気で「ああ大野さんもだめだったか」なんだろうな。で自分勝手に情動コントロール障害になってると。
大野さんよかったね。これまでのわたしの傾向を考えると、多分もうあなたんちにコメントしないと思うよ。
この「自分勝手にわたしが「だめだったか」と思ってるだけだから気にするなよ」論法一部の自閉症者にはやったことがあるwww
http://www.youtube.com/watch?v=aMUmDqj1nMc&feature=related
拝啓! ジョン・レノン!
馬鹿な平和主義者!
現実見てない人!
>そんなダブルバインド的な心情を歌った歌じゃないかな。
あっはwww
ようつべのコメントなんて基本馬鹿なコメントしかないと思っているが、なぜか今日はようつべコメント欄に優しいなwww
確かにこの歌は「ジョン・レノンコンプレックス」ではなく「ダブルバインド」だな。
コンプレックスとダブルバインドは確かに似ているが。
だけどダブルバインドなら「ジョン・レノンに敬意を払っている」とするのは間違いだろう。
コンプレックスならそれでいいが。
http://www.youtube.com/watch?v=wtRXLUJG08c&feature=related
この曲とかほんとこいつらただの馬鹿なんだなと思う。
だからいい。
いつか死ぬいつか絶対死ぬ
死んだあとも名を残すなんて欲をかきすぎだ
平和なんて一人の馬鹿がぶっ壊す
アルトーの言葉。
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だがこの詩の作者(ルイス・キャロル)は知性の精巧さによって事実を――幼児言語の衝動が持つ肛門性欲という事実を――喚起しようとしているのであって、肛門的幼児性があるとき自然に彼の詩の中で赤裸々に語り出したというわけではないのだ。
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大野さんの「レイプファンタジー」もこれと一緒。
大野さんはアルトーにとってのルイス・キャロルだ。
ロリコン。
女の(ショタコンではない)ロリコンはメルヘン少女だ、ってことか。よくある言説だな。
だが大野さんは知性の精巧さによって事実を――レイプ被害の衝動が持つ現実界の回帰という事実を――喚起しようとしているのであって、トラウマがあるとき自然に彼の詩の中で赤裸々に語り出したというわけではないのだ。
「つまり一方の性の他方の性に対する、生きることのできる穏やかな関係が打ち立てられうるような避難所には、父の隠喩という媒介の介入が必要である、ということです。」
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-106.html
http://v.youku.com/v_show/id_XMjAyNzQ1MDg4.html
音質いいなさすが中国。
おだやかでなけりゃ残れない時代 少し抜け出して
毎日Broken my heart 声もたてずに
毎日Broken my heart 傷ついていた
声たてろよ。たとえほとんどの人間が「そんな鳴き声聞きたくない」と言っていようが、それを聞く学問がある。
エスの鳴き声を聞く精神分析学が。
また、巷の精神分析は治療を目的をしているため、「最終的にこの鳴き声をたてないようにさせるんだろ?」と思われるかもしれないが、少なくとも「逆精神分析」を標榜する「脂派精神分析」は違う。
だから声たてていい。
お前らの鳴き声は「脂派精神分析」の臨床素材として活用される。
傷ついたら、声をたてろ。
すべての人間がその声を聞かないわけではない。
大野さんも笙野頼子もだめならわたしがやるしかあんめえ。
そして、傷ついている人間を代弁する傷ついていない人間は少し黙ってろ。きちんと傷ついた人間の声を聞いて代弁しているならまだしも、それはお前ら自身の欲望の言説にしかなっていない。
たとえばセカンドレイプ議論における「レイプされたことがないけど声がでかい野次馬」どもに言っている。
それは「傷ついた鳴き声を学問する精神分析」においては、ただのノイズだ。
>大野さんも笙野頼子もだめならわたしがやるしかあんめえ。
自分で読んで死にたくなったわ。めんどくさいこと言っちゃったな。ごめんやっぱわたしにゃ無理。
ああ注意事項。
「脂派精神分析」は、治療を目的としていないため、「傷ついた鳴き声」を救いません。助けません。
学問において「天国」はただの妄想の産物です。
もし救われたくて、助けられたくて鳴き声をあげるなら、宗教に向けた方が効率的でしょう。
わたしがよく聞いている谷山浩子も創価学会ですし、わたしの祖父も大本の熱心な信者でしたし、別に悪いことじゃないと思いますよ。
ただし、たとえばF子さんの「傷ついた」ってのは「人権が侵害された」意味だから、そういうのは「エスの鳴き声」ではないし、聞こうと思ったらネット上に限らずそこら辺に溢れているからいらないです。
「エスの鳴き声」なら、わたしは聞こう。
F子さんの「傷ついた」は他にもたくさん類型がある声だから聞こうとは思わないが、旗子さんの鳴き声なら聞いてやろう。
もちろんelveさんも。elveさんは「どうやってエスに鳴き声をあげさせるか」のお手本だと思うよ、旗子さんやらレタダさんからすれば。
大野さんはほっとけ。彼女はヒステリーじゃなく自罰パラノイアに対する防衛としてのフェティシストだ(藤田博史の著作からのパクリ)。
そんなつまらん人間をどうこう言っても意味ないだろ、ただの三流大学の講師なんだし。
ああ忘れてたけどはてこさんもな。自閉症はわたしの専門だ。
わたし学者ですらないメンヘラですけどwww
F子さんやfont-daさんはいらないが、「逆精神分析」つまり症状を悪化させる可能性が高いのは、実はF子さん周辺に多いのだよな。
あ、悪化させられたくないってならスルーしてちょ。
わたしのやってる精神分析は治療という目的を捨てた精神分析だから。
F子周辺の人読んでるかな。レタダさんがブクマしてるから一応書いてみたんだが。
キチガイが正常人化洗脳されずに生きていれた方が、まあ苦痛をそのままにしろって意味だからあれだけど、二次障害はなくなると思うんだがな。
例の「自閉症者は相手の心が理解できない。だから俺は相手の心を理解しない」って言ったアスペさんは、二次障害からの防衛としてそう言ったと思うんだがな。
しかーし正常人たちの自分勝手なルールで訴えられたけどな。
二次障害を受け入れて正常人らしく生きるか、二次障害をなくすためにキチガイとして生きるか。
どっちも茨の道だが、どっちが「まだまし」か、って話じゃよ。
たとえばここにきてる(つかわたしブログにコメントしてたんだな)おまきんさんというスキゾイドも、スキゾイドらしく、おまきんさんらしく生きれば、二次障害は減るだろうが、世間様の評判は悪くなろう。スキゾイドってな犯罪心理学では目の敵にされてる情性欠如者なわけだから。
正常人になるために二次障害を催すのも、二次障害を忌避して世間様から嫌われるようなキチガイの生き方をするも、自由よ。
どっちが「まだまし」かって話にすぎないわけで。
ただ、後者なら、わたしや「自閉症は人類の進化形だ」なんてぶっちゃう杉山登志郎などは、味方につくだろうよ。
あ、でも杉山も創価なんだっけ?
昔働いてたキャバにも親が創価ってのがいたなー。わたしも親が大本の熱心な信者だから微妙に話があった。
>わたしも親が大本の熱心な信者だから
親じゃねー、祖父母が、だ。
東大卒のエリートでメンヘラで水商売経験者でかつ親族が宗教の信者!
ほんとあたしって隙がないなwww
>しかーし正常人たちの自分勝手なルールで訴えられたけどな。
訴えた方(定型発達者)がネット上で凹られてるのはこないだ見た。
わたしと殺しあおうぜ。大野さんなんてメルヘン少女じゃなくて。
頓服のも。
大野さんに勝手に恋して失恋したんだろうよ
って事にしようよ
失恋仲間絶賛募集中(笑)
ああ、太陽がまぶしいので死んでもいいですか(夜
> elva…←5つ目の雪お化け
やめてよ、犯罪者と一緒にしないで
や、めて、よ、は、んざ、い、し、ゃ、と、い、っ、し、ょ、に、しな、い、で
やぁあーーーめてええぇ、えのん、ーーーょょ、ーーよょ、ーーよ、
はぁ、ぁは、ぁ、ぁ、−−−ん、んn、−−−ざ、ざざぁざぁざあああ、−−ぃ
せつじつな、こうはんな−つみの、の、くびき、の、めめめめめ。
ゆめ、の、え、そら、おん、おん、おん。と
葉っぱは、尖った、シンプルな、血液ゆえ、
雪は、口の上なる、時の凝固の、すり身ゆえ(乱暴に酢をかけて?)
化けて出るなら、かまいもせずに、
かまいたちの、たまったのはどこ?
かまいたちの、たまったのは、あの、吹きたまり。ゆえに、目なし。
5つ目がありゃ、たてもゆわえて、
いづつ目のフキを、さわさわさ、さ、し、て、
と、アナ、こうぅたためらし、し。
(お邪魔しました。多意はなく、多意があったと。いうことで、で。)