No.0215
2012年5月22日
あーそーそれそれ、って感じだったので引用
親が溺愛するほど子はこれじやない感を強く抱く。人は「愛されてなかった」という形でしか愛を学べない
はてなブックマーク – 財)パタフィジック収集館ふくろう団地出張所
最後の学べてるかどうかはよく分からんがw
形のないモノなんて、無いと感じる事でしか存在を感じられないというか。
愛の才能でも貼っておくか
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あーそーそれそれ、って感じだったので引用
親が溺愛するほど子はこれじやない感を強く抱く。人は「愛されてなかった」という形でしか愛を学べない
はてなブックマーク – 財)パタフィジック収集館ふくろう団地出張所
最後の学べてるかどうかはよく分からんがw
形のないモノなんて、無いと感じる事でしか存在を感じられないというか。
愛の才能でも貼っておくか
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「愛されてなかった」と認識できる時点で「愛」わかってんじゃん。
「愛されてなかった」と認識できる時点で「愛」わかってんじゃん。
長くなるが。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-618.html
=====
「愛」が足りないと思うならお前が愛されてないだけだ。「愛」を知っているせいで生じる不満だ。わたしは愛されているかどうかはわからない。しかし「愛」の形式は知っている。心ではよくわかってないが頭では常識程度にわかっている。いや常識以上だろう。何せ「精神分析は愛を学問できる唯一の学問」だから。
わたしはお前と違って、第三者視点で、評論家視点で、演出家視点で、他人事視点で、「愛」の形式として、「愛」もただの代理表象であるとして、量を測ることができる。難しく言ってるが、簡単に言ってあげようか? 「「恋」に恋している」って言葉あるよな? ガキを揶揄する目的で使われることが多い言葉。それと同じようなことだ。わたしは「「愛」に興味が向いている」。
あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ。
現代は、「愛」を知らない人間が、いわば情性欠如者が増えている、などという浅薄な言説をよく聞くが、そうではない。「愛」を知っている人間が、自身のパラノイアックな精神疾患症状をエスカレートさせたがゆえ、情性欠如者がより異常に見えているのである。
こちらは何も変わっていない。おそらく太古の昔から変わっていない。人との心的交流が希薄なのだから、社会からの心的影響は受けにくいだろう。少なくともお前らより。
変わったのはお前らだ。「愛」は全人類が知っているものだというお前らの妄想がエスカレートしたのだ。だからより「愛」を知らない人間が異常に見える。お前らは情性欠如者を排除したがる。
現代の魔女狩りは、ねちねちと、じわじわと、慢性的なやり方で、より手の込んだやり方で、より大勢の人間を共犯にして、行われている。
余談になるが、「キリスト教が行った昔の魔女狩り」と「ねちねちとした現代の魔女狩り」とを対比させると、昔のジャイアンがしていたような「ガキ大将がするイジメ」と現代の「陰湿なイジメ」という対比と相似するのもおもしろい。
そういう可能性も考慮してみろよ。
お前ら自身の心を振り返ってみろよ。
異常者は、どっちだ?
あ、一応言っておくが、「現代は「愛」が足りなくなっている」って言葉も、お前の主観世界では真実なんだと思うよ? そりゃーそうさ。「愛」に、「愛」を「愛」として認知する機能に、元々自分のうちに備わっている「愛」の根拠に、お前の「愛」に対する執着を加速させる根拠に、支配された人間から見れば、自然体で「愛」についてわかっていない人間は、より異常なものに見えるだろう。情性欠如者を観察する観察者が、「愛」に執着すればするほど、観察対象はより異常に見えてしまうだろう。「愛」を神とした宗教国家から見れば敵性民族に見えるだろう。だから、その観察者のレポートにある「現代は情性欠如的な傾向が加速している」という言葉は正しいんだよ。ここに何も矛盾はない。
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長くなるが。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-618.html
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「愛」が足りないと思うならお前が愛されてないだけだ。「愛」を知っているせいで生じる不満だ。わたしは愛されているかどうかはわからない。しかし「愛」の形式は知っている。心ではよくわかってないが頭では常識程度にわかっている。いや常識以上だろう。何せ「精神分析は愛を学問できる唯一の学問」だから。
わたしはお前と違って、第三者視点で、評論家視点で、演出家視点で、他人事視点で、「愛」の形式として、「愛」もただの代理表象であるとして、量を測ることができる。難しく言ってるが、簡単に言ってあげようか? 「「恋」に恋している」って言葉あるよな? ガキを揶揄する目的で使われることが多い言葉。それと同じようなことだ。わたしは「「愛」に興味が向いている」。
あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ。
現代は、「愛」を知らない人間が、いわば情性欠如者が増えている、などという浅薄な言説をよく聞くが、そうではない。「愛」を知っている人間が、自身のパラノイアックな精神疾患症状をエスカレートさせたがゆえ、情性欠如者がより異常に見えているのである。
こちらは何も変わっていない。おそらく太古の昔から変わっていない。人との心的交流が希薄なのだから、社会からの心的影響は受けにくいだろう。少なくともお前らより。
変わったのはお前らだ。「愛」は全人類が知っているものだというお前らの妄想がエスカレートしたのだ。だからより「愛」を知らない人間が異常に見える。お前らは情性欠如者を排除したがる。
現代の魔女狩りは、ねちねちと、じわじわと、慢性的なやり方で、より手の込んだやり方で、より大勢の人間を共犯にして、行われている。
余談になるが、「キリスト教が行った昔の魔女狩り」と「ねちねちとした現代の魔女狩り」とを対比させると、昔のジャイアンがしていたような「ガキ大将がするイジメ」と現代の「陰湿なイジメ」という対比と相似するのもおもしろい。
そういう可能性も考慮してみろよ。
お前ら自身の心を振り返ってみろよ。
異常者は、どっちだ?
あ、一応言っておくが、「現代は「愛」が足りなくなっている」って言葉も、お前の主観世界では真実なんだと思うよ? そりゃーそうさ。「愛」に、「愛」を「愛」として認知する機能に、元々自分のうちに備わっている「愛」の根拠に、お前の「愛」に対する執着を加速させる根拠に、支配された人間から見れば、自然体で「愛」についてわかっていない人間は、より異常なものに見えるだろう。情性欠如者を観察する観察者が、「愛」に執着すればするほど、観察対象はより異常に見えてしまうだろう。「愛」を神とした宗教国家から見れば敵性民族に見えるだろう。だから、その観察者のレポートにある「現代は情性欠如的な傾向が加速している」という言葉は正しいんだよ。ここに何も矛盾はない。
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フロイト−ラカンの「愛」に対する理詰めの甘さはやっぱクライン持ってこやんとどうにもならん。
フロイト−ラカンの「愛」に対する理詰めの甘さはやっぱクライン持ってこやんとどうにもならん。
ただの「否定神学」ならぬ「否定愛学」だな。
ただの「否定神学」ならぬ「否定愛学」だな。
愛=神 (・∀・)
愛=神 (・∀・)
歌は「桜坂」の方が良かったかw
歌は「桜坂」の方が良かったかw
「親が溺愛するほど、これじゃなかった時のこれじゃなかった感が強くなる」んじゃないか?
うちの職場にお母ちゃんに弁当作って貰ってる女子が居てこの前「冷凍食品を入れてる!!」ってメッチャ憤ってたんだよ。
冷凍食品のこれじゃない感を、強く感じたんじゃないだろうか、彼女は。いつも冷凍食品なり、お弁当無し日も多くて大雑把に
育ってたら「まあこんなもんか〜」で済んだかも知れない。
「親が溺愛するほど、これじゃなかった時のこれじゃなかった感が強くなる」んじゃないか?
うちの職場にお母ちゃんに弁当作って貰ってる女子が居てこの前「冷凍食品を入れてる!!」ってメッチャ憤ってたんだよ。
冷凍食品のこれじゃない感を、強く感じたんじゃないだろうか、彼女は。いつも冷凍食品なり、お弁当無し日も多くて大雑把に
育ってたら「まあこんなもんか〜」で済んだかも知れない。
そうそう、愛されてないというよりは「これじゃない」なんだよなぁ〜
そうそう、愛されてないというよりは「これじゃない」なんだよなぁ〜
愛されている実感が薄いが母なりに愛しているのは知っている、というか。
だからまぁ、「母なりの愛」はわかってる
ただそれを私なりに解釈すると「私の代わりに男の機嫌をとって」だからノーサンキューしちゃう
母よりうまく機嫌とれちゃうのも知ってるからなw
愛されている実感が薄いが母なりに愛しているのは知っている、というか。
だからまぁ、「母なりの愛」はわかってる
ただそれを私なりに解釈すると「私の代わりに男の機嫌をとって」だからノーサンキューしちゃう
母よりうまく機嫌とれちゃうのも知ってるからなw
「あれでもない」「これでもない」→愛に本質などない、ってことを学ぶのが引用文の「愛を学ぶ」って意味ならば、情性欠如者は学ばずともそれを知っている、ってことになるな。
「あれでもない」「これでもない」→愛に本質などない、ってことを学ぶのが引用文の「愛を学ぶ」って意味ならば、情性欠如者は学ばずともそれを知っている、ってことになるな。
「恋に恋すること」=「愛の才能ないの」=「私は情性欠如者よ」ってことならこの歌でOKかと。
Midasさんへの反論になりうるが。
つーか「人間らしさ」という【心理】はトラウマという「脅迫」によって成立のだから、「人間らしくない」「傷ついた経験もない」elveさんは情性欠如者側でいいんでねえの。
少なくととも後者は確かmidasさんの言であり(前者はわたしだったかwww)、Midasさんはそう思っているのであろうから、この歌はありかと。
「恋に恋すること」=「愛の才能ないの」=「私は情性欠如者よ」ってことならこの歌でOKかと。
Midasさんへの反論になりうるが。
つーか「人間らしさ」という【心理】はトラウマという「脅迫」によって成立のだから、「人間らしくない」「傷ついた経験もない」elveさんは情性欠如者側でいいんでねえの。
少なくととも後者は確かmidasさんの言であり(前者はわたしだったかwww)、Midasさんはそう思っているのであろうから、この歌はありかと。
あれか、「これじゃない」「これでもない」を繰り返して、「未来の読者」に辿り着いたんだろうな、Midasくんは。
あれか、「これじゃない」「これでもない」を繰り返して、「未来の読者」に辿り着いたんだろうな、Midasくんは。
私は情緒過剰というか情緒が社会不適合とかそういう感じだwww
誰かに形容して貰えるってありがたいというか、そうやって自分が認識されていくというか。
tamamusiさんが「おとぎ話」に形容詞がないといってた話を思い出した。
===
昔噺にはあまり形容詞がない
<http://d.hatena.ne.jp/tamamusi/20120505#1336201084>
===
お話は形がないのにしっかり存在していて、「私」は「誰か」に形容されないと成り立たない。
「形のないモノなんて、無いと感じる事でしか存在を感じられない」は嘘かwww困ったwww
私は情緒過剰というか情緒が社会不適合とかそういう感じだwww
誰かに形容して貰えるってありがたいというか、そうやって自分が認識されていくというか。
tamamusiさんが「おとぎ話」に形容詞がないといってた話を思い出した。
===
昔噺にはあまり形容詞がない
<http://d.hatena.ne.jp/tamamusi/20120505#1336201084>
===
お話は形がないのにしっかり存在していて、「私」は「誰か」に形容されないと成り立たない。
「形のないモノなんて、無いと感じる事でしか存在を感じられない」は嘘かwww困ったwww
「おとぎ話」と「昔噺」と「お話」がごっちゃだわwww
「おとぎ話」と「昔噺」と「お話」がごっちゃだわwww
「情性」と「情緒」は違うのか。日本語むつかしー
「情性」と「情緒」は違うのか。日本語むつかしー
>昔噺にはあまり形容詞がない
えーそうかー?
まあ何と比べてってのはあるか、その人が普段接している文章と比べて、ってことなら、理系人間からすれば昔話だって形容詞が多い。
おそらくそのtamamusiさんは形容詞が多い文章と普段接しているのだろう。
>昔噺にはあまり形容詞がない
えーそうかー?
まあ何と比べてってのはあるか、その人が普段接している文章と比べて、ってことなら、理系人間からすれば昔話だって形容詞が多い。
おそらくそのtamamusiさんは形容詞が多い文章と普段接しているのだろう。
「ない」は言い過ぎか。「少ない」くらい?
あと、「悪い」鬼とか「美しい」姫とかの詳細は長年語り継がれるウチにそぎ落ちたんだろうなぁ、とか。
形容詞は愛? 対象を形容するって広義で愛が必要だろうな、とか。
関心と愛はちょっと違うかー
「ない」は言い過ぎか。「少ない」くらい?
あと、「悪い」鬼とか「美しい」姫とかの詳細は長年語り継がれるウチにそぎ落ちたんだろうなぁ、とか。
形容詞は愛? 対象を形容するって広義で愛が必要だろうな、とか。
関心と愛はちょっと違うかー
愛に関心があるから「恋に恋してる」かなぁ
愛に関心があるから「恋に恋してる」かなぁ
>あと、「悪い」鬼とか「美しい」姫とかの詳細は長年語り継がれるウチにそぎ落ちたんだろうなぁ、とか。
これおもしろいな。
確かに昔話の形容詞はあっても無意味なもののように捉えられるかもしれない。
言語学的に厳密にカウントして、文字量との割合を出して、現代小説などのそれと比較しても、「昔話にはあまり形容詞がない」って統計にはならんと思うんだがなあ。
>あと、「悪い」鬼とか「美しい」姫とかの詳細は長年語り継がれるウチにそぎ落ちたんだろうなぁ、とか。
これおもしろいな。
確かに昔話の形容詞はあっても無意味なもののように捉えられるかもしれない。
言語学的に厳密にカウントして、文字量との割合を出して、現代小説などのそれと比較しても、「昔話にはあまり形容詞がない」って統計にはならんと思うんだがなあ。
>愛に関心があるから「恋に恋してる」かなぁ
あるいは愛を知っているから愛に関心がある場合もあろうよ。
赤ん坊の頃に「愛の本質」とでも言えるべき強烈な経験をしていれば、それがトラウマ的に作用して、その人の「愛の本質」になるであろう。
>愛に関心があるから「恋に恋してる」かなぁ
あるいは愛を知っているから愛に関心がある場合もあろうよ。
赤ん坊の頃に「愛の本質」とでも言えるべき強烈な経験をしていれば、それがトラウマ的に作用して、その人の「愛の本質」になるであろう。
> 「昔話にはあまり形容詞がない」って統計にはならんと思うんだがなあ。
そう?
「昔々あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山に芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に行きました」
とか形容詞なくね?
現代小説もそんなに読んでないから分からないけど登場人物についてここまで形容しないと逆にそこにポイント有るストーリーだったりしそう。
> 「昔話にはあまり形容詞がない」って統計にはならんと思うんだがなあ。
そう?
「昔々あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山に芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に行きました」
とか形容詞なくね?
現代小説もそんなに読んでないから分からないけど登場人物についてここまで形容しないと逆にそこにポイント有るストーリーだったりしそう。
> 赤ん坊の頃に「愛の本質」とでも言えるべき強烈な経験
母親が他の赤ん坊と自分の赤ん坊「私」を区別した、とかで良いのだろうか
> 赤ん坊の頃に「愛の本質」とでも言えるべき強烈な経験
母親が他の赤ん坊と自分の赤ん坊「私」を区別した、とかで良いのだろうか
>現代小説もそんなに読んでないから分からないけど登場人物についてここまで形容しないと逆にそこにポイント有るストーリーだったりしそう。
という文章にも形容詞なくね。
つか「登場人物の形容描写が少ない」って意味か。それならわからなくもない。
>母親が他の赤ん坊と自分の赤ん坊「私」を区別した、とかで良いのだろうか
赤ん坊の経験の話をしているのになんで母親の話になる。
>現代小説もそんなに読んでないから分からないけど登場人物についてここまで形容しないと逆にそこにポイント有るストーリーだったりしそう。
という文章にも形容詞なくね。
つか「登場人物の形容描写が少ない」って意味か。それならわからなくもない。
>母親が他の赤ん坊と自分の赤ん坊「私」を区別した、とかで良いのだろうか
赤ん坊の経験の話をしているのになんで母親の話になる。
登場人物の形容をしないってんなら現代小説でも結構あると思うけどなあ。
ラノベでも、まあラノベなんて美少女萌えだからいかにヒロインをかわいく形容するか勝負どころじゃね、とか思ってたが「ヒロインの形容を描写されすぎても萎える」というラノベファンも結構いてな。「登場人物の形容」はあまりやりすぎると読者が想像力をかき立てられなくなる、なんて結論になった覚えが。
登場人物の形容は、読者の欲望をかきたてると同時にやりすぎと欲望が萎えたりもすると。
登場人物の形容をしないってんなら現代小説でも結構あると思うけどなあ。
ラノベでも、まあラノベなんて美少女萌えだからいかにヒロインをかわいく形容するか勝負どころじゃね、とか思ってたが「ヒロインの形容を描写されすぎても萎える」というラノベファンも結構いてな。「登場人物の形容」はあまりやりすぎると読者が想像力をかき立てられなくなる、なんて結論になった覚えが。
登場人物の形容は、読者の欲望をかきたてると同時にやりすぎと欲望が萎えたりもすると。
つかまあラノベはイラスト勝負なところもあるしな。
つかまあラノベはイラスト勝負なところもあるしな。
何となく「悪い」鬼を退治、とか時代と共に「悪い」の意味が変わるから、そぎ落ちていったのかなぁ、とか。同じように形容する言葉が同じでもどういう状態かって時代によって違うからだんだんシンプルな形容になっていくのかなぁーっと。
いや、なんの検証もしてないけどw
何となく「悪い」鬼を退治、とか時代と共に「悪い」の意味が変わるから、そぎ落ちていったのかなぁ、とか。同じように形容する言葉が同じでもどういう状態かって時代によって違うからだんだんシンプルな形容になっていくのかなぁーっと。
いや、なんの検証もしてないけどw
> 赤ん坊の経験の話をしているのになんで母親の話になる。
最初は母親と自分の区別がついてないのかな、と。
そもそも「自分」ってのが親に「形容されて」
形作られ始めるのかしらん、とか強引に絡めるw
> 赤ん坊の経験の話をしているのになんで母親の話になる。
最初は母親と自分の区別がついてないのかな、と。
そもそも「自分」ってのが親に「形容されて」
形作られ始めるのかしらん、とか強引に絡めるw
>最初は母親と自分の区別がついてないのかな、と。
そもそも「母」とか「自分」という個を認識してないかと。
つか自閉症はそういうケを残している人たち。「断片化された世界」。人も断片化されている。
>そもそも「自分」ってのが親に「形容されて」
>形作られ始めるのかしらん、とか強引に絡めるw
あ、それはそうかと思う。
>最初は母親と自分の区別がついてないのかな、と。
そもそも「母」とか「自分」という個を認識してないかと。
つか自閉症はそういうケを残している人たち。「断片化された世界」。人も断片化されている。
>そもそも「自分」ってのが親に「形容されて」
>形作られ始めるのかしらん、とか強引に絡めるw
あ、それはそうかと思う。
>時代によって違うからだんだんシンプルな形容になっていくのかなぁーっと。
同じ時代でも読む人によって違うけどな。
>時代によって違うからだんだんシンプルな形容になっていくのかなぁーっと。
同じ時代でも読む人によって違うけどな。
少し生理しておくと、tamamusiさんの「昔話には形容詞が少ない」という文章を、elveさんが「登場人物の形容が少ない」と解釈した、ってことでよい?
一方わたしは言語学的な形容詞のことだと思って、昔話という文章群において、他の現代小説や日常会話と比較して、特筆するほど形容詞の数が密度として少ないとは言えないだろう、と考えたので、異議を唱えた。
しかし、「登場人物の形容が少ない」という、elveさんがさらに追加した限定条件を付加するなら、統計結果はどうなるかわからないが、そうかもしれない、と考えた。
少し生理しておくと、tamamusiさんの「昔話には形容詞が少ない」という文章を、elveさんが「登場人物の形容が少ない」と解釈した、ってことでよい?
一方わたしは言語学的な形容詞のことだと思って、昔話という文章群において、他の現代小説や日常会話と比較して、特筆するほど形容詞の数が密度として少ないとは言えないだろう、と考えたので、異議を唱えた。
しかし、「登場人物の形容が少ない」という、elveさんがさらに追加した限定条件を付加するなら、統計結果はどうなるかわからないが、そうかもしれない、と考えた。
> tamamusiさんの「昔話には形容詞が少ない」という文章を、elveさんが「登場人物の形容が少ない」と解釈した、ってことでよい?
おー、無自覚でしたわ。そうですそうです。
余談だけどラノベは本文で登場人物の容姿を描写していても、挿絵優先されるイメージだわ。ブギーポップとマリ見てくらいしか思いつかないけど。
> tamamusiさんの「昔話には形容詞が少ない」という文章を、elveさんが「登場人物の形容が少ない」と解釈した、ってことでよい?
おー、無自覚でしたわ。そうですそうです。
余談だけどラノベは本文で登場人物の容姿を描写していても、挿絵優先されるイメージだわ。ブギーポップとマリ見てくらいしか思いつかないけど。
『狼と香辛料』は主人公の男の方のイラストが若すぎ(自分のイメージと比べ)てほとんど脳内スルーしてた。
『狼と香辛料』は主人公の男の方のイラストが若すぎ(自分のイメージと比べ)てほとんど脳内スルーしてた。
ブログが……。
なんでこう、パラノイアタイプが釣れるのかねえ。
ブログが……。
なんでこう、パラノイアタイプが釣れるのかねえ。
「学歴」とか「精神分析」とかが関係してるんじゃないかとふと思ったので私にとってはそういうのがナニカとこだわったり妄想しやすいのだろうなぁ、と。
「学歴」とか「精神分析」とかが関係してるんじゃないかとふと思ったので私にとってはそういうのがナニカとこだわったり妄想しやすいのだろうなぁ、と。