No.0427
2013年12月15日
物語を読むこと
消毒のエントリ(『コクリコ坂から』に描かれていたのは「『父』の視点」ではなく「父性を求める娘の視点」である。 – 消毒しましょ!)読んでて思ったんだけど
私は文章に対しては
「書かれていないことを読む」「それを根拠に批判や持論を展開する」
って状態で
「そんなこと書かれてねーじゃん」って突っ込みするのもされるのも
わりと好きなんだわ。
自分が突っ込まれたら、おぉ、変な行間読んでた、とか
コレは私の経験から来た妄想だなぁとか思えるし。
妄想癖というか変な方向にとぶ癖があるから
助かるわ〜ということもあるんだわ
でも、どうも動画にはそういうのがないというか
元々動画をあまり観ないので(今もテレビのない生活)
明確にこう感じるのだ、と確信できてないのだけど
映画とかの物語に「妄想する」のを突っ込むのは野暮って言うか
映画とか特に「妄想させるためのもの」という感じがするんだよねぇ
エンターテインメント性とでもいうのかなぁ
そんなことどこにも書いてねーよwww
は
ホントだーwwww
って感じになるんだけど
(この物語は)そんなこと言ってねーよ
は
えーいいじゃーん(;´Д`)
って感じになる。
全然関係ないようなことでも
そこから私はこう連想したんだよーって自覚してる感じなら
消毒もそう噛みつかんのだろうけどな
コレはこういう物語です(という私の妄想)
の()はまぁ、無自覚でも結局そこに行き着くから
私はそこ突っ込まれてもあんまり「www」って感じにならないかなぁ〜とか思った
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なんか言語化すると違う感じになるなぁ
なんか言語化すると違う感じになるなぁ
なんか言語化すると違う感じになるなぁ
その「違う感じ」が書かれてねーよ。
その「違う感じ」が書かれてねーよ。
その「違う感じ」が書かれてねーよ。
まあ元演劇人から言わせてもらえば、芸術って領域は妄想が許されてる、みたいなところはわたしにもある。
それが「芸術」なら「ぶっかけ」ていいじゃろ、的な。
だからそういう「ぶっかけ」たがりさんには「小説書け」とかよく言う(ブログは言葉だけのものだから一応「小説」にした)。
まあ元演劇人から言わせてもらえば、芸術って領域は妄想が許されてる、みたいなところはわたしにもある。
それが「芸術」なら「ぶっかけ」ていいじゃろ、的な。
だからそういう「ぶっかけ」たがりさんには「小説書け」とかよく言う(ブログは言葉だけのものだから一応「小説」にした)。
まあ元演劇人から言わせてもらえば、芸術って領域は妄想が許されてる、みたいなところはわたしにもある。
それが「芸術」なら「ぶっかけ」ていいじゃろ、的な。
だからそういう「ぶっかけ」たがりさんには「小説書け」とかよく言う(ブログは言葉だけのものだから一応「小説」にした)。
元演劇人の言葉。
「演劇は、舞台上にあるのではなく、観客一人ひとりの頭の中にある」
元演劇人の言葉。
「演劇は、舞台上にあるのではなく、観客一人ひとりの頭の中にある」
元演劇人の言葉。
「演劇は、舞台上にあるのではなく、観客一人ひとりの頭の中にある」
まあ元記事を読んでおらんけど、作品(物語)を作ってる側からすれば、
観客A「これはこれこれこういう物語だ」
観客B「いやこれはこういう物語だ」
って議論は外野視点になっちゃうのだな。
だいたいそんな議論する受取手たちも、「じゃあ作者にどういうつもりだったのか聞いてみよう」とはあんまならないじゃん。
こういう表現者を巻き込まないのが「妄想が許された人間社会領域」としての「芸術」が発達しているところでもあろうなあ、と思った。
まあ元記事を読んでおらんけど、作品(物語)を作ってる側からすれば、
観客A「これはこれこれこういう物語だ」
観客B「いやこれはこういう物語だ」
って議論は外野視点になっちゃうのだな。
だいたいそんな議論する受取手たちも、「じゃあ作者にどういうつもりだったのか聞いてみよう」とはあんまならないじゃん。
こういう表現者を巻き込まないのが「妄想が許された人間社会領域」としての「芸術」が発達しているところでもあろうなあ、と思った。
まあ元記事を読んでおらんけど、作品(物語)を作ってる側からすれば、
観客A「これはこれこれこういう物語だ」
観客B「いやこれはこういう物語だ」
って議論は外野視点になっちゃうのだな。
だいたいそんな議論する受取手たちも、「じゃあ作者にどういうつもりだったのか聞いてみよう」とはあんまならないじゃん。
こういう表現者を巻き込まないのが「妄想が許された人間社会領域」としての「芸術」が発達しているところでもあろうなあ、と思った。
まー動画見るのが面倒なので
言訳であるw
まー動画見るのが面倒なので
言訳であるw
まー動画見るのが面倒なので
言訳であるw
宮崎息子はゲドだけ見たけどパヤオが照れ隠しみたいにして隠したりちらっと見せるだけだったことを堂々とやっちゃう人だなあとは思った。
まあ「風立ちぬ」なんかは押井曰くそういう照れ隠ししてたことを堂々とやっちゃったって映画らしいけど。
「風立ちぬ」はパヤオの吾郎化だったりしないだろうか。
見てないけどな。
宮崎息子はゲドだけ見たけどパヤオが照れ隠しみたいにして隠したりちらっと見せるだけだったことを堂々とやっちゃう人だなあとは思った。
まあ「風立ちぬ」なんかは押井曰くそういう照れ隠ししてたことを堂々とやっちゃったって映画らしいけど。
「風立ちぬ」はパヤオの吾郎化だったりしないだろうか。
見てないけどな。
宮崎息子はゲドだけ見たけどパヤオが照れ隠しみたいにして隠したりちらっと見せるだけだったことを堂々とやっちゃう人だなあとは思った。
まあ「風立ちぬ」なんかは押井曰くそういう照れ隠ししてたことを堂々とやっちゃったって映画らしいけど。
「風立ちぬ」はパヤオの吾郎化だったりしないだろうか。
見てないけどな。
コクリコは見てないし最初から見たいとも思わなかったし今でもそうだな。
コクリコは見てないし最初から見たいとも思わなかったし今でもそうだな。
コクリコは見てないし最初から見たいとも思わなかったし今でもそうだな。
ついったの短縮URLからいっぱい飛んできてますぜ。
ついったの短縮URLからいっぱい飛んできてますぜ。
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ぶっちゃけ「芸術」という領域はレイプが許される領域であるってことだな。
クライン曰く「すべての芸術の原動力は乳房を求めることである」みたいな。
フロイトも似たようなこと言ってるけど、「昇華」とかって曖昧な単語でぼかしたりしてるけどな。
クラインはきっぱりそう言ったが、フロイトは同じ「乳房を求める芸術」でも「昇華」したりしてなかったりする。
ぶっちゃけこの「昇華」ってフロイトの個人的嗜好に合うかどうかってことだとわたしゃ思ってるが。
ぶっちゃけ「芸術」という領域はレイプが許される領域であるってことだな。
クライン曰く「すべての芸術の原動力は乳房を求めることである」みたいな。
フロイトも似たようなこと言ってるけど、「昇華」とかって曖昧な単語でぼかしたりしてるけどな。
クラインはきっぱりそう言ったが、フロイトは同じ「乳房を求める芸術」でも「昇華」したりしてなかったりする。
ぶっちゃけこの「昇華」ってフロイトの個人的嗜好に合うかどうかってことだとわたしゃ思ってるが。
ぶっちゃけ「芸術」という領域はレイプが許される領域であるってことだな。
クライン曰く「すべての芸術の原動力は乳房を求めることである」みたいな。
フロイトも似たようなこと言ってるけど、「昇華」とかって曖昧な単語でぼかしたりしてるけどな。
クラインはきっぱりそう言ったが、フロイトは同じ「乳房を求める芸術」でも「昇華」したりしてなかったりする。
ぶっちゃけこの「昇華」ってフロイトの個人的嗜好に合うかどうかってことだとわたしゃ思ってるが。
フロイト自身が現実原則に囚われた強迫神経症だからの。
フロイト自身が現実原則に囚われた強迫神経症だからの。
フロイト自身が現実原則に囚われた強迫神経症だからの。