先さんが男らしくて苦手だという話

さめさんと先さんが仲がいいのにこんな記事で申し訳ない。

まず、あのタイミングで記事を消した先さんの行動が理解できない。
が、記事を消したから先さんとうさるさんは「会話になった」のだろうなぁ、とも思う。どんな会話がなされたのかは観れなかったからよくわからないけど、結果的に正しかったのかもしれない。
今回の件は、仲良くなれそうだと誤解した私がうさるさんにセクハラかまして嫌われた話なので、うさるさんと和解した(?)先さんに嫉妬している面があるとも思う。
先さんの記事を消すからそれに免じて許せ、とか
うさるさんの記事からお名前を消しました、とか
こいつら自分のブログを随分「でかく」捉えてるんだなぁ、と思った。

で、先さんの記事。

カッコイイ。

そして最後に落合信彦が講演を聞きに来た人に向かってこういったんですよ。「こんな講演に熱いまなざしで話を聞いてくれる学生服を着た子が来てくれているのが嬉しい、日本もまだまだ捨てたものではない」って。それも僕に向かって。

「行間を読む」の意味を私なりの解釈で説明してみます – あれこれやそれこれ

最初からココまではようするに格好いい落合に喜ばれてメッセージまでもらった特別な俺(←特に特別でもないのに)自慢じゃないですか。無自覚のやつ。
男の子のナルシストってこういうの多いじゃないですか。
苦手です。

この「行間を読む」という言葉自体の使い方としても僕はまったく正しくなかったということです。

「行間を読む」の意味を私なりの解釈で説明してみます – あれこれやそれこれ

受けいれられる気もしなかったから説明不足な言葉を使って僕が悪かったんです!(彼女をかばう俺かっけー!!) みたいな感じが苦手です。説明不足なだけです、わかってたんですってアピールも感じます。

このことであるブロガーとあるブロガーが言い争いになってしまったわけですが、元を辿っていくとやっぱり僕に原因があるわけです。

「行間を読む」の意味を私なりの解釈で説明してみます – あれこれやそれこれ

ねーよ。うさるさん、先さんの文章読んでないって言ってるじゃねーかよwww

お互い理解しあえていたんじゃないかな

「行間を読む」の意味を私なりの解釈で説明してみます – あれこれやそれこれ

僕のせいでごめんね(うっとり)って感じが苦手です。
先さんの記事がなかったらさめさんの記事もなくて、うさるさんとは接点ないままだったとおもいますけどね。

「そんな風に理解されるとは思わなかった」とか「そんな意味で言っていない」と発信する側が言うことなく、発信する側が読み手にきちんと伝わる文章を書こうと考えていくことが大事なんじゃないかなと。

「行間を読む」の意味を私なりの解釈で説明してみます – あれこれやそれこれ

すげー意見変わったなwww 私はいくらでも言っていいと思うよ。そして信じたい人だけが信じる。それでいいと思う。
誤解されない文章なんてないし「文字」がもう妄想の元なんだから。
文章にしたときに妄想は入り込むし、文章を読むときに妄想は入り込む。
字義通りに読む派のうさるさんですら、俺のちんぽの妄想に負けてしまった。アレだけ俺の話だと書いたのに。

極端なこと言うだけの人。そうして自分を大きく見せたい人。でも実際は器小さい人って感じ。
器小さいなぁと思ったのは、迷惑をかけた、お詫びといいながらIDコールはしない。(私は言及に気づかなかった)
記事を書く前にtwitterで私との相互フォローを解除している。(私のフォローも外れていたので一度ブロックしたのだろう)
つまり「相手」に「お詫び」をしたいのではなくて「相手に詫びを入れる自分」を「みんな」に見て欲しかったのだろう。
そんな風に感じた。

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1件のコメント

  • 一応細く。私が勝手に自爆したのだから詫びは不要なのは明らかなのに、いやらしい書き方をしている、ということね。
    別に俺にちゃんと詫びろよとかアンフォローするなよとかそう言う事いってるわけではないので(;´Д`)

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