2026年3月5日

79 は “高田純次的会話” について考えました

  1. 高田純次よりつきぬけられてないだろ、お前は。
    高田は少なくとも「私は可愛い」とは思ってないだろう。
    まあこういうのが「女がお笑いやるとイタイ」って感じになるんだろうけどな。
    その「イタさ」を笑ってやればいいんだよ、小島よしおみたいに。
    「お客に笑われるんやない、お客を笑わせるんや」
    そういうお笑いに物足りなくなった客が「笑われる」お笑いを見にいくんだろうな。
    どちらかというと「見世物小屋」としてのお笑い。
    そして寺山修司へ。

  2. いとうあさことかつきぬけられてる気はする。
    あれ「女という妄想に対する悪意」ですらあるだろ。
    お前はまだ「セーラー服がいい」ってのに対応する「ビリでも参加するのが尊い」という「妄想」をすてきれてない。
    いやまあいとうもすてきれてはないんだろうがな。
    それへの執着をテレビでは見せない。
    いとうとかまちゃみとかヒステリーだと思うのだよな。
    まちゃみはソウカで本当に救われたんだろうと思うわ。

  3. 女芸人は自我の解離ですら「見世物」「芸」にしなくちゃなんない、と。
    まちゃみの信仰告白とか一つの「見世物」になってるだろ。ネットじゃ。

  4. 高田さんとかあの人芸達者だと思うぞ。
    元小劇場関係には甘くなるが、やっぱ舞台出身の役者はうまい。

  5. 小劇場はアングラとメジャーの中間みたいな感じだったからな。
    「笑わせると笑われる」「見せると見られる」「芸と見世物小屋」の中間にある文化だったと思うな。
    いやまあ初期の小劇場は「芸」だけど。野田さんちも鴻上さんちも芸達者。
    小劇場ブームが下火になったころな。アングラとの境界があいまいになってた感じ。わたしの中では。

  6. お前のシモネタにとって、「ビリでも参加するのは尊い」って考えがあると、「笑われる見世物」として「笑えなく」「イタく」なる、と。
    でもそれがないと「痛いの痛いのとんでけー」「いい子いい子」されないもんな。
    見世物小屋の奇形児とか、客は「いい子いい子」するために見にいってるわけじゃねえだろ。

  7. >高田さんとかあの人芸達者だと思うぞ。

    「チョーテキトー人間」とか言われるがすげー精密なアドリブしてると思えるわ。
    いやテキトーなんだろうが。本人は。
    精密作業が体に染みついてるんだろうな。

  8. 「見世物小屋の奇形児」になることが「かけっこから降りること」なわけだ。
    わたし自分で、地方の工場からオヤジに見物にこられたりしたの、「動物園の猿みたいだ」と思ったもんな。自分が。

  9. >客は「いい子いい子」するために見にいってるわけじゃねえだろ。

    「いい子いい子」したがる人は「見世物にするなんてひどい!」って発想になるだろうな。
    「奇形児にだって人権はあるんです」的な。
    そんな「芸」はお腹いっぱいです。

  10. 一応あたし役者としてはお笑い系だったからな。お笑いには一言ある。

  11. とか言いながらいとうあさこって『電波少年』の「15美少女漂流記」のメンバーだったんだよな。
    その頃すでにあんま見てなかったけど。

  12. >「見世物小屋の奇形児」になることが「かけっこから降りること」なわけだ。

    「分析家は、人間にとってのチンパンジーであるように、人間から遠ざかってなくてはならない」ばーい新宮一成。
    これを踏まえてここ読むといかに風野が精神分析を理解しておらず、彼自身の妄想を根拠に語っているかわかるだろ。
    =====
    そうすれば、すべての葛藤を克服した、いわば「超人」になれる、と。
    =====
    むしろこれは風野自身の精神疾患的症状として解釈されなければならないだろう。

    いやまあ、フロイト-クライン-ラカンって「死の欲動派」じゃない精神分析学派が、「超人」みたいな「分析家は「原父」あるいは「グレートマザー」を目指すべき」なんて雰囲気になってるのは、実際の精神科医や心理カウンセラーを見てそう思うが。
    「大人になりたがり病」=(この記事で言っている文脈における)「超人」、ってことだ。
    とすれば人間ほとんどが「超人」になりたがっている、って話でもある。
    だれも「見世物」としてのチンパンジーにはなりたがってないだろ。

  13. >そうすれば、すべての葛藤を克服した、いわば「超人」になれる、と。

    逆に言えば、ほとんどの人間が、「より人間らしくあろう」「大人らしくあろう」「超人であろう」と「かけっこ」「三人の囚人ゲーム」をしているわけだ。
    それが去勢済み主体であり、神経症すなわち「正常という精神疾患」なわけ。
    じゃあ「人間らしくあろう」「大人らしくあろう」としなければ、少なくともそれについて葛藤はなくなるだろうな。
    ミイラ化した赤ちゃんを撮影隊に投げつけるチンパンジーには、そういう「人間らしくあろう」とするゆえの葛藤がないから、人間はそれを自覚することができるわけだ。
    いわば、チンパンジーは、人間が見たくない自分を映す鏡としてあった、と。
    ある自閉症児の母親がこんなことを言っていた。
    http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-200.html
    =====
    対人関係は鏡のようなものなんだけれど、相手が自閉症者だと、その鏡は気を使ってくれないというか、生々しいものを映してくれますね。
    =====
    「気を遣ってくれない鏡」「生々しいものを映す鏡」。言いえて妙だと思う。
    だからわたしはこう言っている。「自閉症者は生まれながらの分析家である」と。
    http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-261.html

  14. elveさんの「痛いの痛いのとんでけー」とは、「自分が見たくない自分は見たくない」ということであり、「ビリでも参加するのが尊い」としてくれる、自分にとって都合のいい鏡を求めている、ってわけだ。
    『白雪姫』の魔女の鏡は、魔女の言いなりじゃなかったろ。魔女が「言ってほしかった返事」を返してくれなかった。
    「こういう返事を言ってほしい」という代償を求めていた。
    この魔女はわたしの魔女論では底辺の部類に入るな。

  15. むしろ『白雪姫』の場合、「鏡」がわたしの言う魔女だ。
    もしそうならその「鏡」は相手が白雪姫であっても「白雪姫が言ってほしい返事」を返さないだろうな。

  16. 高田さんって東京乾電池って劇団出身なんだが(高田さんが出た舞台はわたしは見たことないが)、チェーホフよくやるんだよな。
    乾電池のチェーホフって「すれ違う会話」のシュールさがおもしろい。蛭子さんとかも出てるんだけどまさにあれ系。
    東京乾電池は、まあ最近のは見てないけど、「芸と見世物小屋の中間」だとは思うわ。
    こういうのは、「すれ違う会話」を見せることによって、「人間の会話が通じるのは、お互いに通じていると妄想しているからだ」という現実を、鏡として映しだしている、とも言えるだろうな。
    http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-677.html

    で、「なんでそんな妄想すんの?」と聞かれたelveさんは、正直だから「「痛いの痛いのとんでけー」「いい子いい子」してほしいから、それが気持ちいいから」と答えてる、って構図かな。

  17. >http://douga-geek.com/?p=132

    この動画を参考にするなら、「視線の焦点の脇にある顔が目まぐるしく動くと、モンスターに見える」ってことなわけだろ。
    人間という生物は「モンスター」には見られたがらない。「より人間らしくあろう」としている。まあその「人間らしさ」なんて人間が勝手に自己規定して「ある」と思い込んでいる妄想なんだがな。
    だから「視線の中央に顔を持ってきたがる」んだよ。見られたがる。「承認欲求」。
    http://ameblo.jp/phallicgirl/entry-10449402117.html

  18. 「見られたがる」だけなら別に「モンスター」で構わんだろ。「怖い物見たさ」みたいな機制もあるわけで。いとうあさことかブサイクってほどでもないだろ、光浦とかと比べたら。
    『めちゃいけ』で美容整形番組のパロディみたいなんで「ブサイクになろう」ってのがあったが、そういう考え方ならいとうは「芸人としてのアドバンテージがない」ということになる。光浦より。
    でも光浦は「笑わせている」からな。「笑えないブス」である大久保さんの方が魔女に近いのかもな。

  19. この「芸人はブサイクな方がアドバンテージだ」って考え方とか、前の記事の「欲望関係から抜け出すことが享楽だとして、ヤマンバギャルは享楽したがっている」とも通じるな。
    「芸人はブサイクな方がアドバンテージだ」という考え方は「享楽の意志」である、と。

  20. 「モンスターに見える」ことだけが「錯覚」なのではなく、「まともな顔に見える」のも「錯覚」なんだよ。

  21. >「まともな顔に見える」のも「錯覚」なんだよ。

    「あばたもえくぼ」って言うだろ。
    ブラマヨのぶつぶつも「えくぼ」だと「錯覚」できないことはなかろうよ。

  22. 今のお笑い界とか、「芸としてのお笑い」じゃなくて、「マイルドな見世物小屋」になってる感じはするわな。
    だから今の若手芸人とかMCとか苦手なんだろうな。
    ナイナイも岡村ってMC苦手だと思うんだよな。でもよくやってるよ。だから病んだんだろうけど。
    岡村とか「笑われる芸人」だろ。だからこそいいわけで。

  23. 「笑わせる」「芸」に真面目になればなるほど、「笑わせるとはどういうことか」「笑うとはどういうことか」って考えになる。
    んなもん「わかんない」わけだ。
    「なぜ客が笑ってるのかわからないけど笑わせてる」んなら、それは「笑われている」ってことだろ。
    「笑わせる」という主体性の根拠がないんだから。

    哲学はもっとお笑い研究すべきだと思うのだよなあ。
    精神分析とかフロイトが「ジョークに無意識は表れてる」としてんだし。

  24. という風に「お笑い」について真面目に考えてた時期がわたしにもありました、って話で。

  25. あと話変わるけど、「「俺」ならまだいいけど「俺ルール」は勘弁」っての、「俺」=自我、「俺ルール」=超自我、ってすんなりいくな。
    自我だけなら、自己愛してるだけなら、自分がからまなければいい、と。
    超自我が介入して対象愛になるから、人間そういう人ばっかだから、未去勢者は二次障害を起こす。
    未去勢者とは自体愛の世界を生きているわけだからな。

  26. 「正常という精神疾患の自覚」、これだけで、お笑いに限らず社会や政治上の問題ですら、半分以上は説明つくと思うんだが。

  27. 社会や政治が複雑なのは、「笑わせるお笑い」が複雑なのは、人間の八割以上(わたし視点)を占める正常という精神疾患者たちが、正常という精神疾患について減給しないからだよ。

  28. テレビ観ておけば良かったと思うよ
    「電波少年」とか観たことないモンなぁ

  29. >でもそれがないと「痛いの痛いのとんでけー」「いい子いい子」されないもんな。
    >見世物小屋の奇形児とか、客は「いい子いい子」するために見にいってるわけじゃねえだろ。

    これだよねー この状態で「見世物小屋の奇形児に同情する客」について考えちゃったり批判したりするので「構造を壊したがるのに壊せない」になるのかなぁ
    自分自身には例外ルール適用してしまうと言うか
    オートマチック乙女チック

  30. 私がトランポリン遊びをして飛ぶたびに鉄の処女から血が滴る
    血を浴びて薄ら笑い浮かべる
    とかだとちょっと詩的w

  31. 痛さを笑うってなんかできないんだよなぁ
    自分の痛さを投影してしまうからかなぁ
    笑ってしまうと自己嫌悪に陥るし
    だからテレビが観れなくなった

  32. >だからテレビが観れなくなった

    「痛さ」ならテレビの方がまだましだぜ。舞台より。
    舞台はそれこそ「ナマ」だし。お芝居の世界じゃないこととしてのハプニングとか「痛い」だろ。
    テレビは一応切り貼りできる。

  33. 「舞台の観客は自虐的に観劇している」ってのは当時からよく言っていたこと。
    小劇場なんて特にそうだ。素人のお芝居を、せっまい客席でぎゅうぎゅうづめになって見なけりゃなんない。

  34. >痛さを笑うってなんかできないんだよなぁ

    逆だよ、ある一線越えると「自分が痛いから笑う」。
    自己嫌悪なんてのも「お笑い」になる。

  35. 詩的に言うなら、輪姦されている女の子が、自分のマンコに必死になってる男ども見ておかしくなって笑う、というようなことだ。
    「こいつ頭おかしくなったんじゃないか」とか男は思うだろ。
    「享楽」なわけだ。

  36. どうもelveさんの「かけっこから降りた人」のイメージって、「かけっこしてる人を見下している」って感じなんじゃないか?
    「レイプされてて笑ってしまう女子」ではなく。
    妙にシニフィエがずれている気がする。

  37. 「かけっこに参加できていない人」ってのは参加している人からすれば「ビリ」みたいなもの。
    elveさんは「ビリでもかけっこに参加するのが尊い」なわけだが、「かけっこに参加してない人」も、脳内で参加していることにして、「尊い」って思っちゃうんじゃないのけ?
    「虫けら」だよ。
    「虫けら」が「虫けら」として人間を見ているだけ。

  38. http://atratith.blog19.fc2.com/blog-entry-167.html

    =====
    結局さ、科学村にしろなんにしろ、人の輪からはずれたところで、人の輪を見ることが大事なんだよ。「部外者視点」っつうかさ。
    人類学で言う、「(フィールドワークをする)人類学者は、研究対象部族と友好的な関係を結ぶことが大事だが、学者視点を忘れてはならない」みたいなこと。顔では友好的に笑っていながら、内面では学者の冷静な視点を忘れてはならない、って。
    =====
    なんてのは、「文化人類学者は、観察対象文化のかけっこに外面だけ参加して、内面では参加してはならない」ってことになるな。

    そもそもな、お前の痛みは「かけっこに参加して負けることの痛み」だろ。「かけっこに参加できないことの痛み」とは別物だ。
    同じ「負けることの痛み」な人に投影する分には構わないが、後者に投影していたら、わたしは「その投影は間違っている」と言うだろうな。

    そもそも「痛み」なんてまるっきり同じになるわけがないじゃん。細胞レベルでは一人一人「体という物質」は異なるわけだし。
    だが「無条件反射信号系」により感知する「痛みの共通点の観取」なら理解できなくもないが。
    自閉症だって「痛みを共感する」ことがある。たとえばそれは、テレビで飢餓の子供たちを見て、自分が空腹であることを連想して、不機嫌になるといった具合に。

  39. >そもそもな、お前の痛みは「かけっこに参加して負けることの痛み」だろ。「かけっこに参加できないことの痛み」とは別物だ。

    同じ「B型」でもそういった違いはあると思うぞ。
    「かけっこに負けることが辛い」B型と「かけっこに参加できないのが辛い」B型と。

  40. 「かけっこに参加して勝つあるいは負けることに対する心理作用」自体が「気持ち悪い」んだよ。
    勝ってる人勝ちたがる人も、負けてる人も負けたがる人も、そういう相互心理作用が気持ち悪い。
    simpleなんかも「自分から負けたがる人」だろ。

  41. そもそもそのかけっこなんて妄想の共有で、ネットゲームみたいなもんなわけだが(文化とはすべてネットゲームと同じ)、そんなのに勝った負けたの心理作用を現実と思い込むのがアホだろ。

  42. >この状態で「見世物小屋の奇形児に同情する客」について考えちゃったり批判したりするので「構造を壊したがるのに壊せない」になるのかなぁ

    「かけっこに勝ちたがる奴を批判するくせに、かけっこから降りる発想ができない」と同義だな。

  43. 本来の文化もネットゲーム内の文化も人間がつくったものなわけだが、人間が自分でつくったものを人間が勝手に自分で「前者が優れていて後者は劣る」と価値づけてるだけだろ。

  44. 男社会も女社会もルールの詳細が違うだけで、基本ルールは同じだ。「大人」が「パパ」か「ママ」かの違いだけ。
    スポーツだって、国際統一ルールとかはあるが、微妙にルールの違いがあったりする。柔道なんてそうだ。オリンピックなどの国際試合と国内試合で微妙にルールが違っていたりする。

  45. >どうもelveさんの「かけっこから降りた人」のイメージって、「かけっこしてる人を見下している」って感じなんじゃないか?
    えー逆なんじゃない? かけっこ自体が差別を生む心理
    ビリでも参加するのが尊い→参加してない人は尊くない→ビリでも走ってる私は参加してない人よりまだマシだわー→一応社会人でw みたいな(;´Д`)
    んで、そういう「「かけっこ」にかこつけた暴力」を指摘されて困るしかないなぁってとこか。

    参加してない人にはなれないのでそっちの心理状況までは想像できてない

  46. なぜ参加せずにいられるのか、というのを考えると
    じゃ、なんで私参加したんだっけ? になり
    気がついたらこの道しかなかったんだものという言い訳しかない

  47. んで、社会人という枠からはみ出ろと言われると精神疾患よりは
    海外留学の方を選んでしまうのが私だなぁ

  48. こっちもそっちが理解できないから話を聞いてるわけですよ。
    別にお互い理解できないままでもいいけど、わからないことは観察したがるという体の反応。

  49. 理解できないままで飽きることもあるしな。
    それは体がどうなるかだからどうにもできん。

  50. 基本ルールは同じでもローカルルールが違えばかけっこで速くなるかもしれんなあ。
    でもどんなローカルルールでも「ビリでも参加するのが尊い」なら、「遅く走ってしまう」んじゃねえの。

  51. つかなんで海外留学って話になってるんだっけ。
    それは別に「かけっこから降りること」ではないだろ。
    いや山の中で仙人みたいな生活をするってのなら別かもだが。

  52. むしろこれからも走り続けられるために海外いきたいのか。
    なんで海外留学すれば走り続けられるってなるのかもよくわからんが。

  53. 逆に「基本ルールは同じで細かいローカルルールが違う」のを知ると今までわからなかった基本ルールがわかったりするもの、って話か。
    同じルールだとわからないが、細かくても微妙に差異があると、それが今までわからなかった基本ルールのヒントとなる、と。
    それならまあわからなかない。

    わたしも構造主義と演劇と精神分析ってそれぞれ別のローカルルールでやってきたからここまで基本ルールを言葉にできるわけで。
    でもそれがわかった、というかわかってはいないが、言葉にできたからって何? なんだけどな。
    言葉にする、理論にする、論文を書く、というのは「わからないことを観察したがる」ということの生成物にすぎん。

  54. > いや山の中で仙人みたいな生活をするってのなら別かもだが。
    バギオっていう高地で校舎と一体の寮にこもって
    1日8〜10時間英語の勉強をしようかとwww
    たぶん1週間で泣いて帰ってくる←ビリになりたがるwww

  55. > 「別のかけっこをしてみたい」か。
    ですねぇ。
    今のかけっこは辛くてもうむりー

  56. >「もっとこう、きれいな女性でいよう、みたいなのをですね」

    これって「女社会のかけっこをしましょう!」ってことだもんな。

  57. 傾斜十度の坂道を腰の曲がった老婆が少しずつのぼってく
    彼女の自慢だった足は薄い草履の上で横滑り横滑り

  58. わたしとお前のあいだに不倫の子がいるとちょうどいいのかもな。
    いやわたしとドジっ子が遠いってわけでもないが。
    あいつ今思うと抑鬱症っちゃ抑鬱症だしな。

  59. 陽狂なのかもしれないが、人間の欲望から逃れるにはキチガイのふりが有効なのは事実だからなあ。

  60. まあおもちゃも分解すれば電子なわけで、「おもちゃにできる」=「自分の思い通りになる」って一般的に言われている裏の意味で言っているなら、間違ってるけどな。
    おもちゃはいいなりにならない。おもちゃも物だから。

  61. 「おもちゃにする」=「本能的な興味を向ける」って意味なら、逆にこの世におもちゃじゃないものなどない。
    「本能的な興味」は「美しい/汚い」などという快楽原則とは別の次元にあるから。

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